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オルメカ文化研究者の日誌
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やっと,終わりました。怒濤の2週間。 3月初めにお仕事のボスがやってきてから昨日までの2週間、疲れた〜...。

メキシコでののんびり仕事に慣れてしまっている僕にとって、この2週間はしんどかった。あっちに行ったりこっちに行ったり、あれをやったりこれをやったり、土日もなかったし...。最終日は朝3時まで...。最後は頭のてっぺんから煙が出てくるんじゃないかと思うほど。

今では職場は嵐が過ぎ去った後のように穏やかな時間が流れてます。

もちろん、一番忙しかったのはボス本人なのですが、そのペースにあわせる僕らもなかなか大変でした。

今回の僕の主な仕事は、日本と中国から来墨されたDNA分析の先生達のお手伝い兼通訳と、3月下旬に行われるアメリカの考古学会の発表資料の作成のお手伝いでした。


DNAサンプル採取風景

3月末にはボスが再び来墨するので、それまでしばし休憩。ちょうど今週はセマナサンタというメキシコの休暇期間に入るのでのんびりしようと思います。

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火曜日は、もちろん僕ではなく、友人の修士課程の最終試験があり大学に行ってきました。

日本ではどうなのかよく分かりませんが、メキシコでは学部も修士も博士課程も全て最終試験は公開で行われます。

審査をする先生方、そして友人や家族などを前にして本人が自分の論文の要旨を発表し、その後、先生方からの質問への受け答えをします。その後、先生方以外は部屋の外に出て、審査の結果を待ちます。

友人の修論はサン・ロレンソ遺跡で出土したフリント製の石器に関するものでした。これまでのオルメカ研究のなかでも、メソアメリカ考古学全体でもフリントに関する研究は同じ石器研究でも黒曜石に比べると非常に少ないので、大変だったと思いますが、よくまとまっていました。

僕も頑張らねばと思った一日でした。

先日、仕事から帰ってメールをチェックしてみると、指導教官の先生からメールが来てました。

はて、だろう????と思って開いてみると、彼女が実施し去年で終了したプロジェクトの資金が若干残っていて無駄にしてしまってもしょうがないので、奨学金として僕にくれると言っているではないですか。それだけあれば、こっちでは2ヶ月は働かなくても生きていきます。

で、その奨学金をもらうには、以前もらっていた奨学金が終わった後に報告書を提出していなければならないらしい。さらに、その手続きをするために僕の戸籍抄本のコピーが必要らしい。僕の朧げな記憶では、以前の奨学金が終わった後に、報告書を作製して提出した記憶がある。さらに、戸籍抄本のコピーは以前の奨学金をもらう時に提出したので、その残りがあるはず。

というわけで、早速、先生にお礼のメールを書き、来週友人の修士課程の最終試験があるときにそれらを持っていくと伝えました。
で、さっき書類が沢山入っている段ボール箱を漁り、なんとか戸籍抄本のコピーを発見。あとは、以前提出したはずの報告書をパソコンの中から探し出すだけ。

しかし、ここで一つ問題がある事が判明!僕のパソコンは一昨年の暮れに壊れてしまい、今は昨年初めから使っている新しいパソコンなのです。つまり、以前もらっていた奨学金の報告書を作成したのは一昨年まで使っていたパソコンなのです...。かなりの部分のデータは引っ張りだす事ができたので、その報告書もバックアップデータが残っている事を祈るばかりです。まあ、報告書と言っても4、5枚程度の書類なのでまた作れば良いのですがね。

今回の奨学金、臨時ボーナス?としてありがたく受け取りたいと思います。っていうのも、実は、6月からのお仕事でお給料がいくらもらえるのか未だわからず、計画書を見ると予算に整理作業が含まれていないのです。そんなことを、心配していた矢先に先生からの助け舟がやってきたという訳です。本当に、僕は指導教官に恵まれているようです。いつも、色々な場面で助けてもらっています。
完全に馴染んでしまったメキシコ時間での生活をダラダラ過ごし、気がつけば1月も終わり、2月になっていた...。

滞っている博論もなんとか今年中には目処をつけたいと思い、1月半ばにはメキシコシティの指導教官の先生のお宅にお邪魔し、色々と今後の方向性を話し合った。以前、このブログでも書いたように6月からはベラクルス州で発掘と整理作業に関わる事になっているので、どうしてもそれまでに一通りの下書きは書いてしまいたい。データの収集と分析は終わっているので、あとはそれを料理すれば良いのだが、それが僕には難しい。苦手なんだよなあ、そういうの...。

まあ、放っておいても誰もやってくれないので(当然ですね)、先日から手をつけ始めました。でも、まだ2ページしか増えてない...。色々と文献も読まなきゃ...。

今日は気合いを入れなおそうと思い、久々に髪を切りました。

でも、夜8時からテレビでサッカーのメキシコVSアメリカ戦があり、きっと見ちゃいます...。
その後、論文に戻って来れるだろうか...。
昨日は、友人K君とパレドンと呼ばれる地域の黒曜石を拾いに行ってきました。

8時半にテオティワカンを出発し、コンビと呼ばれる乗り合いタクシーのようなものに乗り約20分でオトゥンバという街に到着。そこから、バスに乗り約30分でシウダー・サアグンという更に少し大きな街まで行きました。ここまでは、非常に順調だったのですが、ここで次の目的地まで行くためのコンビを待つ事約2時間!

なんとか、次の目的地まで辿り着いたのですがその時、すでに午後12時半。そこから、目的地までは約3キロほどらしいので次のバスが来るまで待つ事も無いだろうという事で歩き始める事に。


奥に見える山の向こうの方に黒曜石の原産地があるらしい。

しばらく歩いていると、後からバスがやってきたので早速乗る事に。バスに10分くらい乗っているとどうやら目的地を過ぎてしまったらしい事に気がつき、とりあえず近くの集落で下車しました。

降りた場所はトレス・カベサス(日本語にすると3つの頭)という場所。


とりあえず、周りを見渡し写真を何枚かパチパチと撮り、ふと脇に目をやると、あるじゃないですか、黒曜石がゴロゴロと。降りる場所を間違えたと思ったら、実は大正解の場所でした。

  
周囲の風景。降りた場所の脇で見つけた黒曜石が散布する場所。黒い石が黒曜石。

更に少し歩くと、巨大な谷(多分、用水路)があり、そこをよく見ると崖から黒曜石が顔を出していました。そこで、K君とともにこの崖に沿って歩く事に。

 
谷の写真(右側の崖に黒曜石が沢山見られます)。拡大写真(ちょっとわかりずらいか...)。

谷の周りは畑になっていて、今はちょうど農閑期のようで何も植わってなく、そこにも沢山の黒曜石が落ちていました。K君と僕はひたすらその谷に沿って歩き、所々でサンプルとなる黒曜石を拾いました。昨日は久々に良い運動になりました。

  
崖に見える黒曜石の露頭。露頭の拡大写真。あちらこちらに黒曜石の露頭が。

  
崖の高さはゆうに10メートル以上、さすがに降りる事は出来ませんでした。河原にもゴロゴロと大きな黒曜石の塊が落ちてます。畑にも拳大程度の黒曜石がゴロゴロ。K君の周りにある黒い石は全て黒曜石。


おまけのウチワサボテン。めずらしくまんまるのウチワサボテン。普通は楕円形なのですがなぜか、この辺りはまんまるのウチワサボテンが沢山あった。
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