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オルメカ文化研究者の日誌
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前回の更新からまた、だいぶ時間が経ってしまいました。とりあえず、前回の更新以降の近況を簡単に。

5月下旬に先学期の講義が終了した後は、彼らの成績を付ける作業に追われていました。今回は4人が「不可」となってしまいました。最終レポートさえ出してくれたらなんとかなっただろうと思うのですが、それも出してくれなかったので仕方ありません...。6月中は、昨年12月と今年1月に発掘調査をしたエル・パルマール遺跡の遺物の整理作業を調査団長の友人たちとメキシコシティで1ヶ月ほどやってました。

その後は、これも昨年6月7月に発掘調査したロス・ソルダードス遺跡の遺物の整理作業をベラクルス州ハラパで始めました。団長のカールが8月上旬にはアメリカに帰らなければならなかったので、当初は約1ヶ月の予定だったのですが、今週にはようやく終わりそうです。

8月後半からは新学期が始まりました。今学期は去年受け持った発掘に関する演習と考古学の社会利用に関する講義の2コマを受け持つ事になりました。

発掘の方の授業は去年用意したものがあるので、それに若干手を加える程度で準備ができるので、先学期までに比べるとだいぶ楽になりました。もう一つの講義は始めて受け持つ講義だし内容的にも僕の研究とはちょっと離れているので、手探りの状態で始めましたが、なんとなく最近では形になってきたような気がします。

そうそう、そんな訳で、今学期は2コマを受け持つ事になったし、遺物の整理作業もあったのでメキシコシティからハラパに完全に引っ越す事にしました。
僕自身は7月上旬から遺物整理のためにハラパに来て、住んでいたのですが、メキシコシティにあった荷物を全てこちらに運んできたのは結局8月末になってしまいました。

最初はガスやガスコンロも無かったりと色々と揃えるのが大変だったのですが、最近になってようやく何とか住める環境になってきました。まだ、冷蔵庫が無いんだけど...。

今月初めには、ギリギリになってしまいましたがエル・パルマール遺跡の報告書をメキシコの考古学審議会に出す事ができました。今回は、来年の1月に僕がベラクルス大学の学部生を発掘実習に連れて行くことになっているので、団長の友人をはじめ他のメンバーにもかなり無理を言って早めに仕上げてもらったのですが、気がつけば僕がギリギリまで担当分ができあがらず皆にかなり迷惑をかけてしまいました...。ごめんなさい...。

発掘実習の為の調査計画書も結局、提出の前日になんとか体裁を整える事ができました。あとはメキシコの考古学審議会の許可が出る事を祈るばかりです。
とりあえずは、今学期の最大の懸案を片付ける事ができたので、次はもう一つの懸案事項である11月末にモレーロス州で開かれるオルメカ文化に関するシンポジウムの原稿を書き始めないと。このシンポジウムの参加者は、僕以外は皆メキシコでもアメリカでも名前の知れた有名な研究者ばかりで、普段はめったに緊張しない僕もちょっとビクビク、ドキドキしてます。一人一人の発表時間もプログラムを見ると、どうも1時間近くあるみたいだし、かなり内容の濃いシンポジウムになるんでしょう。普通の学会だと20分ぐらいが標準なんだけど...。
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先週の月曜日、今学期の講義を何とか無事に(?)終了しました。

前回のブログにも書いた通り最後の授業は学生さん達のグループ発表。予想以上に皆頑張ってきたようで、殆どの学生さんが初めての発表にも関わらずなかなか立派な発表になっていました。
全体の大きなテーマとして「メソアメリカの過去・現在・未来」という課題で、各グループの発表内容は以下の通り。

グループ1:トトナカ文化
グループ2:アステカ
グループ3:農業
グループ4:センポアラ遺跡
グループ5:口承文学
グループ6:納税

ご覧の通り、様々なテーマに取り組んでくれました。ただ、残念ながらオルメカ文化に関する発表はありませんでした...。でも、メソアメリカ文化という過去の人類の歴史から現在を見て、未来を考えるという学部の1年生には少し難しいテーマを皆真剣に取り組んでくれ、僕が伝えたかった事はなんとなくでも理解できているようで、ホッとしました。

  
(写真:発表の様子)

翌日の火曜日は以前から学生さん達に約束してあったハラパ人類学博物館に連れて行く事になりました。他の授業がある学生さん達もいたので結局は10人程度しか集まれませんでしたが、オルメカ文化に関わる考古遺物を説明してきました。ベラクルス大学にはハラパ以外の地方から来ている学生さんも沢山居るので、初めてこの博物館に来たという学生さん達もいました。

本物の考古遺物を間近で見る事によって、更に何かを感じ取ってくれたら良いのですが、2時間弱しか時間がなかったのでどうだったか...。
後は30日に最終リポートを提出してもらって翌週までに成績をつければ今学期の授業は完全に終了となります。授業に出席してくれた学生さん達はきっと無事に単位をとることができるでしょう。

話は変わって、メキシコでは5月15日が「先生の日」らしいです。そこで金曜日は、人類学部の先生達の食事会があり僕もそこにおよばれしてきました。午前中は人類学博物館でベラクルス南部の先古典期の土器のサンプルを見せてもらい、午後になって友人のロベルトと彼の奥さんマルタと一緒にレストランへと向かいました。
聞く所によると、相当な数の先生方が居るそうですが、この日は30人程が参加されていたようです。美味しい魚介類の料理とビールにテキーラが振る舞われ、皆さんと楽しく会食していました。

会食が終わった後も、一人の先生のお家に場所を移して更に飲み会は続き、僕もとても楽しく過ごす事が出来ました。

 
(写真:会食にて)

翌日土曜日は、友人ロドルフォの娘さんの誕生日パーティに呼ばれていたので、午前中は彼と一緒に大学に行き、彼は授業、僕は来学期の授業のプログラム作りをして過ごし、午後になってロドルフォと彼の授業を手伝っているマリソルと一緒に会場のレストランへと向かいました。

3時頃に会場に着くと、すでに子供達や何人かの親御さん達はプールで遊んでいました。僕とマリソルは、一通りロドルフォの家族に挨拶を済ませた後は、楽しそうにプールで遊ぶ子供達を眺めながらビールを片手に前日の飲み会の続き。

  

 
(写真:誕生日パーティにて)
先日、5月1日は僕の40回目の誕生日でした。

好きな事を好きなようにやって来たら、いつのまにやらこんな歳になってました。
ありがたいような、申し訳ないような複雑な心境です。

これまで様々な局面で僕の事を助けてくれた両親、先生方そして友人達には感謝の気持ちで一杯です。

前日の4月30日にはメキシコシティに住んでる友人達が集まってくれて、ビールを飲みながら楽しい時間を過ごす事ができました。色々と話をしていたら、地下鉄も無い時間になってしまい、結局その晩はそこに泊めてもらい。翌朝は朝ご飯まで出してもらいました(写真は撮り忘れちゃいましたが...)。

  
(集まってくれたビッキー、エリカ、サライー。準備してくれたちっちゃなケーキ...。プレゼントの葉巻。)

で、誕生日当日は、3年前にハラパで遺物の整理作業をしていた時に、お世話になっていたマリアのお母さん達がメキシコシティに出てきているので、一緒にご飯を食べに行こうと誘ってもらったのですが、ビッキー達の所で朝ご飯をごちそうになった後、家に戻って翌日の朝までかかって、5月2日月曜日の授業の準備をするはめになってしまいまいした...。この授業を受け持ってから、毎週日曜日は徹夜です...。

なんとか、授業をこなしたあとは、ハラパの大学のそばに住んでいるK氏のお家にお邪魔してハヤシライスを食べる事になっていたので、彼の家に向かいました。家に着くと先に準備をしていてくれたので、とりあえずビールを買いに行き、完成するのを待つ事になりました。

ビールを飲みながら話をしているうちに、ハヤシライスが出来上がりました。
お互いに、ハヤシライスは久しぶりだったので「美味しい、美味しい」と言いながらガツガツと食べました。


(K氏の力作、ハヤシライス)

食べ終わった後には、K氏が誕生日ケーキを買っておいてくれて、それを食べ、二人ともかなりお腹いっぱいになりました。この日も結局、遅くまで話し込んでしまい帰りはタクシーでいつも泊めてもらっているロドルフォの家に...。

 
(ケーキ)
さて、前々回の続きになります。

前日の電話で急遽ハラパ行きが決まり、翌朝、朝7時に家を出て8時のバスに乗り込みました。ハラパのバスターミナルについたのが12時半。そこからタクシーで人類学学部まで行って、いつも他の先生達がお給料の小切手をもらっている場所に行って僕の小切手について聞いてみると、「Rectoríaという場所に送り返してしまったから、そちらで受け取るように」と。ただし、そこは午後2時には閉まってしまうから結局は翌日取りに行く事に。

翌朝Rectoríaに行ってみると、僕の小切手がちゃんと用意されていました。何枚かあったので受け取りのサインをしていると、担当の人から前半の分がキャンセルされているので受け取るには書類を作って持ってこないとダメだと言われました。やっぱり、すんなりとは行きません...。

とりあえず、1月分と2月前半分の小切手をもらって、人類学学部に戻って友人に手伝ってもらいながらキャンセルされた小切手を再発行してもらうお願いの書類を作りました。出来上がった書類を持って再びRectoríaに行って提出しようとすると人類学学部のハンコをもらってくるようにと...。で、またしても人類学学部に逆戻り...。ハンコはすぐに押してもらえたのですが、もう一度Rectoríaに持って行くには時間切れ...。

翌日朝一で持って行くと、今度はすんなりと受け取ってもらえました。係の人の話では1週間で出来上がるとの事でした。さて、翌週までハラパに残るか、それとも一度メキシコシティに戻ってからまたくるか...。どうしようか、考えていると友人から携帯にメッセージが入り、今学期の授業を一コマもらえる事になりました。で、学部長から電話が行くから待っているようにとの事でした。実は、去年のうちからそう言う話をもらっていて、友人たちが水面下で色々と動いてくれていたのでした。僕自身も年末年始にカンペチェ州の現場に出ている間にその授業の計画書のようなものを書き上げて友人に送っておいたので、今回はすぐに公募無しで授業を始められる体制になっていました。

で、とりあえず人類学学部にもどって友人と朝ご飯を食べていると、学部長から電話がかかってきて翌週の月曜日から授業をしてくれないかと聞かれたのですが、返事はもちろん即答で「Sí」。こうして月曜日から授業をする事になったのですが、この電話を受け取ったのは金曜日...。あと3日...。授業の計画書はできてるけど、さすがにすぐに授業を始める準備はしてない...。今回は日本で言う所の一般教養科目の「メソアメリカ」。とりあえず、1回目の授業は計画書を元にどういう風に授業を進めて行くのかという事を説明して、現段階で学生さん達がメソアメリカに対してどういうイメージを持っているのかを話してもらう事にしました。それなら、何とかなるか。

幸いにも、というかこうなる事は何となく予想できていたので、授業計画書もプリントアウトして持ってきてあったので、とりあえずそれを読み返して授業の内容を確認しながら週末を過ごしました。自分で書いたものとは言え、2ヶ月近く前に書いたものなのでだいぶ記憶が怪しい...。

こんな感じで、バタバタとしながら今学期もベラクルス大学で非常勤講師をすることになり、1回目の授業も無事に終え、気がつけばあと2、3回講義をしてその後は学生さん達の研究発表に1、2回授業をやったら今学期の授業もおしまいです。なんだか、本当に時間が経つのが早い...。

毎週毎週、授業の準備をするとあっという間に1週間が終わってしまいます...。先学期の授業は僕自身の経験を元に授業の準備ができたので比較的楽に教える事ができていたのですが(とは言え、1週間のほとんどを授業の準備に費やしていたのですが...)、今回はメソアメリカという広い範囲の全ての時期が対象になるので僕自身が勉強し直してその成果を授業で教えるという感じで、かなりしんどいお仕事になってしまいました...。専門馬鹿はダメですねえ...。まあ、いずれ同じような授業をすることもあるでしょうから、きっとその時の役に立つでしょう...。

そうそう、お給料に話を戻しますと、結局授業をした後、メキシコシティに戻って翌週の月曜日に取りに行ったのですが、なんと小切手を印刷するプリンターが壊れて小切手を発行できないと...。やっぱり、またしてもすんなりとは行きません。結局は翌週に全ての小切手を受け取る事ができたのですが、長い道のりでした...。

しかも、先学期の全てのお給料をもらってから気がついたのですが、自分のお給料の額をそれまでずっと勘違いしてました...。毎月のお給料だと思っていた額が1学期分のお給料の額でした...。そりゃそうです。たった1コマだけでしたからね。しかも、授業をしてない1月と2月前半のお給料も出ているんだから、そんなにもらえるわけないですね...。結局は往復の交通費を差し引くとほんの少しが手元に残っただけ...。それでも、良い経験ができたし、今学期にも繋がっているので良しとしないと(ただ、今学期は1コマの時間数が2時間減っているので、完全に赤字ですが...)。

長々と2回に分けて書いたネタが、結局は間抜けな落ちで終わってしまいました...。
これで、終わっても仕方が無いので、3月に初めて行ったTlatelolco遺跡の写真を載せておきます。この遺跡はメキシコシティにあるのですが、ここに住むようになっておよそ9年目にして初めて行ってきました...。近くにあるとなかなか足が向かないんですよねえ...。
  

  

  

  

  


先週末4月2日 念願のShakiraのコンサートに行ってきました。

前回Shakiraがメヒコに来たのは、サン・ロレンソ遺跡の調査に参加中でした...。何とかして、コンサートに行きたかったのですが、一応(?)オルメカ考古学者としては、サン・ロレンソの調査もめったに参加できるわけではないので、その時は泣く泣くShakiraは諦めました...。

今回は何とかチケットを手に入れ、すごく楽しみにしていました。
当日は、前日のニュースで開場の時間が午後1時になったと聞いたので、友人達と午前11時半に開場近くの地下鉄の駅で待ち合わせをする事にしました。幸い、会場は僕が住んでいるところから地下鉄で3駅ととても近いので、30分前に家を出て途中で朝食兼昼食になるトルタ(メヒコで一般的な軽食でコッペパンに色々な具がはさまったもの)を買ってぴったり11時半に駅に着きました。

駅に着くと友人達から「今、地下鉄に乗ったところなので少し遅れる」と携帯にメッセージが...。まあ、ある程度は予想していた事なので、「やっぱりな」と思いながら返信のメッセージを送りました。すると、携帯には「メッセージを送れませんでした」との文字が...。「なぜ????」と思い電波の状態を見てみてもアンテナはしっかりと立ってる....。「もしかして...」と思い、通話料金の残高を調べてみると、案の定、期限切れになっているとのメッセージが電話から流れてきました...。そういえば、4月1日で有効期限が切れるんでした。

仕方ないので、そのまま駅で待っている事にしました。きっと、着いたら連絡してくれるでしょうから...。30分程するとメッセージが届き、駅に着いたという事なので改札口で探していると、それらしき2人組を見かけたのですが彼女達は改札を出ずに階段を登って行く...。「あれ?」と思いつつももう一度改札に入り直して(メヒコの地下鉄はどこまで行っても3ペソつまり日本円で20円くらい)、階段を登って行ったのですが、ホームには彼女達はいませんでした...。すると、また携帯にメッセージが入り「次の駅で待ってる」と...。

で、次の駅まで行ってみると、どこにも彼女達はいない...。幸いにも近くに売店があったのでそこで携帯の通話料金を入れる為のカードを買って、携帯を使えるようにして電話してみると、すでに会場に入る為の行列に並んでいるというので、僕も急いで会場に向かいました。なんせ、僕のチケットは彼女達が持ってるんですから...。

長ーい行列の中から何とか友人達を見つけ出し、会場が開かれるのを待つ事になりました。このとき既に午後1時...。ニュースによると既に開場時間。しかし、ここはメヒコ...。予告時間通りに開場されるはずがありません...。

結局、開場されたのは午後2時半頃。
中に入ってまず向かったのは、オフィシャルショップ(?)まあ、メヒコなので本当にオフィシャルかどうかは怪しいのですが、コンサート会場の外にある売店よりもオフィシャルな可能性が高い(???)。友人も僕もTシャツが欲しかったので、いくつか見せてもらう。友人は気に入らなかったらしく購入をあきらめましたが、僕は記念にもなるしと思い1枚買う事にしました。

 
(購入したTシャツとチケット)

Tシャツを買った後は、小走りで会場へ。会場はメキシコシティの野球場で、僕らのチケットはアリーナ席なので早く行かないと良い場所が無くなってしまう...。中に入ると早くに並んだのが良かったのか、まだそれほど人は入っていませんでした。アリーナ席も当然ステージに近い場所と少し後ろに分かれていて、僕らのチケットは少し後ろの部分でしたが、その中でも何とか前の方の場所に陣取る事ができました。

このとき、まだ3時前...。ニュースでは4時頃から前座のステージが始まり、夜8時頃からShakiraのステージが始まるという事だったので、とりあえず友人達がこっそりと持ち込んだカメラで記念撮影。っていうか、皆、携帯についているカメラで写真を撮っていたよ...。もう、カメラの取り締まりなんて意味ないんじゃないかな...。

  
(ステージそして記念撮影)

で、4時になっても前座のステージが始まらず、「まあメヒコだしね」と思いながら入り口で配っていた簡単なプログラムを見ると、前座に7組のグループが入ってる...。中には既にかなり有名で単独でもコンサートを開けるようなグループも名を連ねている。友達によくよく聞いてみると、Shakiraのコンサートが急遽メヒコのポップフェスティバルに組み込まれたらしい。こんなにやれるのかと思いながら待っていると、場内のアナウンスで4時からの前座のステージは球場の外でやると...。ってことは、それを見る為にはこの場所を離れなければならない...。当然僕らの決断は、その場に残って陣取った場所を死守する事に。で、アナウンスもよくよく聞いてみると、8時から前座2グループのステージが球場内のステージで始まり、Shakiraのステージは10時から始まるらしい。この時点で、帰りの地下鉄には乗れない事が判明...。

途中、小雨が降ったりして、皆待ちくたびれている様子でどうなるか心配だったのですが、日が暮れて8時半頃になり最初のグループが出てくると、さすがメキシコ人。お祭り好きの人たちは一斉に立ち上がり、前へ前へと押し寄せてきました。
僕らもその人ごみに紛れ、結局、ステージ近くの場所と仕切られていたバリケードの目の前まで進む事ができました。

皆前座のバンドの演奏も楽しそうに、歌ったり跳んだり跳ねたりしているのに、曲の合間にはShakiraコール...。なんだか、前座のバンドの人たちが少し可哀想でした...。2つのバンドが演奏したのですが、両方ともメヒコではかなり有名なのに...。まあ、両者ともさすがにプロなので、そんなことも気にする事無く、Shakiraの事を讃えながらも自らのステージをこなしていました。

前座のステージの間は、まだ周囲にも空いている席やスペースがあったのですが、さすがにShakiraが登場した時には完全に満席状態でした。場内の雰囲気も一気に盛り上がり、すごい事になっていました。気がつくと少し後ろで女の人が気を失ってました...。何時間も待ったあげく、ほんの少ししかShakiraを見る事ができないなんて、気の毒に....。結局その女性はバリケードを担ぎ上げられ、医務室の方へと担がれて行きました....。

 
(Shakira登場の少し前の会場の様子)

近くでは「押すな」「押してない」といった小競り合いもあったりしたのですが、僕らはShakiraが生で歌って踊る姿を間近で堪能する事ができました。アンコールも入れて、結局、2時間にわたるステージで、コンサートが終わると僕も友人達も、そしてきっと他の人たちもくたくたになっていました。でも、10時間近く待っても見る価値のあるステージだったと思います。僕は翌日も、翌々日も体中が痛かったんですが...。


(写真)
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