オルメカ文化研究者の日誌
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ずいぶんとご無沙汰してしまいました。
今年、初めての更新なのでまずは、明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いいたします。もう、あと10ヶ月しかありませんが...。
更新が滞っていたのは理由がありまして、実は12月初旬から1月末まで友人のT君のプロジェクトに参加していました。場所はカンペチェ州でマヤ文化の遺跡の発掘です。詳細は「諸々の事情(?)」でまだ詳しい事は話せませんので、時期が来たらブログにアップしたいと思います。

(写真はキャンプハウスのそばで見たホエザル)
さて、去年後半のブログにも何度か書いたように、僕はベラクルス大学で発掘に関する授業を受け持っていました。これは、もちろんちゃんとしたお仕事でして、どこの国でも同じだと思いますが、外国で働くにはその為のビザが必要になります。メキシコもこの例に漏れず就労ビザが必要になるのですが、僕は留学生としてメキシコに来て、ずっとそのままのビザで滞在しているのでビザの変更の手続きをする必要がありました。
色々と面倒な書類を集めて手続きをしたのが10月下旬、通常は手続きには1ヶ月ほど必要だということだったので、ギリギリ発掘に出発する前には出来上がるかなと甘く見てました...。
11月中旬に授業が終了し、最終リポートの採点なども済ませ、12月初旬に発掘に出発しなければいけなくなっても、まったくビザの変更手続きが終わったという知らせが届きませんでした...。
もう発掘に出なければならなかったので、とりあえずは手続きの事は忘れる事にしました。というのも、通常メヒコは12月中旬にはクリスマス休暇に入ってしまい、まともに業務が進むのは1月半ばくらいからという経験があったからです。案の定、発掘に出ている間も何度かインターネットで手続きの進展具合を確認していたのですが、常に10月下旬に書類の受理がされたというところで止まったままになっていました。
1月後半には発掘も無事に終わり、1月30日の日曜日にメキシコシティに戻ってきました。日曜日だったので、どうせ手続きの進展はないだろうと思ってチェックもせずに寝てしまったのですが、さすがに月曜日には気になって確認してみました。すると、1月27日付けで移民局の事務所に出てくるようにと状況が変わっていました。
いつも、ここで「出来上がったんだ!」と思ってもらいに行くと、ぬか喜びに終わる事が多々あるので、今回もきっと書類が足りなかったりするんだろうと思って、ダメ元で行く事にしました。
すると、予想通り、書類を渡され必要なお金を払って、そのコピーを違う窓口に提出するようにとの事でした。つまり、出来上がったのではなく、手続きが次の段階に進んだだけという事です...。およそ、3ヶ月待って出て来たのはこれだけです...。
でも、よくよく書類を読んでみると、その書類が発行されてから10日以内に次の手続きをしないと、もう一度最初からやり直しになると書いてあるではないですか!つまり、もしこの書類が発掘に出ている間に出ていたら、完全にアウトだった訳です。カンペチェ州とメキシコシティはそう簡単に行き来する事はできません。もし発掘中にこの書類が出ていたら、僕は完全に無視して後で大泣きしていた事でしょう...。
という訳で、3ヶ月以上待たされ、あげくの果てに2000ペソ以上払わされて次の段階に進んだだけだったのですが、考えようによっては非常にラッキーだったのかもしれません。メヒコではこうやって、何事もポジティブに考えないとね。
そして、およそ1週間経って再び事務所に出てくるようにと指示があったので、またダメ元で行ってみると、予想に反してこんどはちゃんと出来上がっていました。ただ、ここですんなりともらえないのがメヒコでして、最終的にカードにサインをする上司が出先から戻って来てないとのこと。
折角、朝1番に窓口に行ったのに、結局ビザを手にする事が出来たのは11時半ぐらいになってしまいました...。まあ、もともと、ダメ元で行って、結局はビザがもらえたのですから、これもポジティブに良かった良かったと思う事にします。
無事にビザを手にして、移民局の近くのスーパーをブラブラしていると、ハラパの友人から至急電話をしてほしいと携帯にメッセージが届いたので、電話をしてみると、先学期のお給料を早く取りにこないと小切手がキャンセルされてしまうと教えてくれました。それは大変!ということで、早速、翌日行くからと伝えて、ハラパ行きのバスのチケットを買いに行く事にしました。
今まで、お給料を取りに行けなかったのは実はビザが出ていなかったからなので、これで何の問題も無くお給料を受け取る事が出来るようになったのです。
さて、僕のお給料がどうなったのかは次回の更新で書こうと思います。
最後に、発掘の写真はまだ載せられないので、調査の後に寄り道したベカン遺跡の写真を載せておく事にします。











以上がBecan遺跡の写真です。
最後におまけの写真


今年、初めての更新なのでまずは、明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いいたします。もう、あと10ヶ月しかありませんが...。
更新が滞っていたのは理由がありまして、実は12月初旬から1月末まで友人のT君のプロジェクトに参加していました。場所はカンペチェ州でマヤ文化の遺跡の発掘です。詳細は「諸々の事情(?)」でまだ詳しい事は話せませんので、時期が来たらブログにアップしたいと思います。
(写真はキャンプハウスのそばで見たホエザル)
さて、去年後半のブログにも何度か書いたように、僕はベラクルス大学で発掘に関する授業を受け持っていました。これは、もちろんちゃんとしたお仕事でして、どこの国でも同じだと思いますが、外国で働くにはその為のビザが必要になります。メキシコもこの例に漏れず就労ビザが必要になるのですが、僕は留学生としてメキシコに来て、ずっとそのままのビザで滞在しているのでビザの変更の手続きをする必要がありました。
色々と面倒な書類を集めて手続きをしたのが10月下旬、通常は手続きには1ヶ月ほど必要だということだったので、ギリギリ発掘に出発する前には出来上がるかなと甘く見てました...。
11月中旬に授業が終了し、最終リポートの採点なども済ませ、12月初旬に発掘に出発しなければいけなくなっても、まったくビザの変更手続きが終わったという知らせが届きませんでした...。
もう発掘に出なければならなかったので、とりあえずは手続きの事は忘れる事にしました。というのも、通常メヒコは12月中旬にはクリスマス休暇に入ってしまい、まともに業務が進むのは1月半ばくらいからという経験があったからです。案の定、発掘に出ている間も何度かインターネットで手続きの進展具合を確認していたのですが、常に10月下旬に書類の受理がされたというところで止まったままになっていました。
1月後半には発掘も無事に終わり、1月30日の日曜日にメキシコシティに戻ってきました。日曜日だったので、どうせ手続きの進展はないだろうと思ってチェックもせずに寝てしまったのですが、さすがに月曜日には気になって確認してみました。すると、1月27日付けで移民局の事務所に出てくるようにと状況が変わっていました。
いつも、ここで「出来上がったんだ!」と思ってもらいに行くと、ぬか喜びに終わる事が多々あるので、今回もきっと書類が足りなかったりするんだろうと思って、ダメ元で行く事にしました。
すると、予想通り、書類を渡され必要なお金を払って、そのコピーを違う窓口に提出するようにとの事でした。つまり、出来上がったのではなく、手続きが次の段階に進んだだけという事です...。およそ、3ヶ月待って出て来たのはこれだけです...。
でも、よくよく書類を読んでみると、その書類が発行されてから10日以内に次の手続きをしないと、もう一度最初からやり直しになると書いてあるではないですか!つまり、もしこの書類が発掘に出ている間に出ていたら、完全にアウトだった訳です。カンペチェ州とメキシコシティはそう簡単に行き来する事はできません。もし発掘中にこの書類が出ていたら、僕は完全に無視して後で大泣きしていた事でしょう...。
という訳で、3ヶ月以上待たされ、あげくの果てに2000ペソ以上払わされて次の段階に進んだだけだったのですが、考えようによっては非常にラッキーだったのかもしれません。メヒコではこうやって、何事もポジティブに考えないとね。
そして、およそ1週間経って再び事務所に出てくるようにと指示があったので、またダメ元で行ってみると、予想に反してこんどはちゃんと出来上がっていました。ただ、ここですんなりともらえないのがメヒコでして、最終的にカードにサインをする上司が出先から戻って来てないとのこと。
折角、朝1番に窓口に行ったのに、結局ビザを手にする事が出来たのは11時半ぐらいになってしまいました...。まあ、もともと、ダメ元で行って、結局はビザがもらえたのですから、これもポジティブに良かった良かったと思う事にします。
無事にビザを手にして、移民局の近くのスーパーをブラブラしていると、ハラパの友人から至急電話をしてほしいと携帯にメッセージが届いたので、電話をしてみると、先学期のお給料を早く取りにこないと小切手がキャンセルされてしまうと教えてくれました。それは大変!ということで、早速、翌日行くからと伝えて、ハラパ行きのバスのチケットを買いに行く事にしました。
今まで、お給料を取りに行けなかったのは実はビザが出ていなかったからなので、これで何の問題も無くお給料を受け取る事が出来るようになったのです。
さて、僕のお給料がどうなったのかは次回の更新で書こうと思います。
最後に、発掘の写真はまだ載せられないので、調査の後に寄り道したベカン遺跡の写真を載せておく事にします。
以上がBecan遺跡の写真です。
最後におまけの写真
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4月24日、メキシコ州のマリナルコという場所にある博物館で行なわれた、書籍の出版披露講演会に行ってきました。

書籍はYoko Sugiura編著 "La gente de la ciénaga en tiempos antiguos: La historia de Santa Cruz Atizapán" 2009年、Universidad Nacional Autónoma de México y Colegio Mexiquense, A.C.。

書籍の紹介は、メキシコの著名な考古学者や杉浦先生のプロジェクトの協力者など総勢5名によって行なわれました。本の内容は杉浦先生が長年調査を率いてきたSanta Cruz Atizapánという遺跡から得られた様々な考古学的な知見が、多くの著者達によって示されているそうです。
会場は大勢の人たちが駆けつけ、立ち見が出るほどの盛況ぶりでした。
講演会の後は、杉浦先生の別荘に移動して盛大なパーティーが開催されました。たぶん、100人近くはいたのではないだろうか。

テーブルには沢山のドリンクと料理が並べられていた。料理の幾つかは、僕らが各自メキシコシティで用意して持ってきたものもある。ちなみに、僕は麻婆豆腐を準備してきたが、今回は不評だったようだ...結構、売れ残ってた...。

杉浦先生の別荘は本当に大きくて、野球場1つ分くらいはあるのではないだろうか。しかも、庭木や芝生、非常に手入れが行き届いている。流石である。家屋もアドベレンガ造りでとても大きく立派な建物である。一緒に行った、友達と僕らもいつかこんな所に住めるのかなあ?なんて言いながら見ていたのだが、まあ僕らには無理だろう、という結論に至った...。

たらふく飲み食いした僕らは、夕方になり、友人達の車に分乗しメキシコシティへと戻る事になった。
書籍はYoko Sugiura編著 "La gente de la ciénaga en tiempos antiguos: La historia de Santa Cruz Atizapán" 2009年、Universidad Nacional Autónoma de México y Colegio Mexiquense, A.C.。
書籍の紹介は、メキシコの著名な考古学者や杉浦先生のプロジェクトの協力者など総勢5名によって行なわれました。本の内容は杉浦先生が長年調査を率いてきたSanta Cruz Atizapánという遺跡から得られた様々な考古学的な知見が、多くの著者達によって示されているそうです。
会場は大勢の人たちが駆けつけ、立ち見が出るほどの盛況ぶりでした。
講演会の後は、杉浦先生の別荘に移動して盛大なパーティーが開催されました。たぶん、100人近くはいたのではないだろうか。
テーブルには沢山のドリンクと料理が並べられていた。料理の幾つかは、僕らが各自メキシコシティで用意して持ってきたものもある。ちなみに、僕は麻婆豆腐を準備してきたが、今回は不評だったようだ...結構、売れ残ってた...。
杉浦先生の別荘は本当に大きくて、野球場1つ分くらいはあるのではないだろうか。しかも、庭木や芝生、非常に手入れが行き届いている。流石である。家屋もアドベレンガ造りでとても大きく立派な建物である。一緒に行った、友達と僕らもいつかこんな所に住めるのかなあ?なんて言いながら見ていたのだが、まあ僕らには無理だろう、という結論に至った...。
たらふく飲み食いした僕らは、夕方になり、友人達の車に分乗しメキシコシティへと戻る事になった。
明けましておめでとうございます
昨年末は色々と宿題がたまってしまい、更新できませんでした...。
いくつかの宿題は年を越してしまい、僕個人としては未だに新しい年になった気がしませんが、今年こそはここ数年言い続けている博論の完成を成し遂げたいと思ってます。
今年も宜しくお願いします。
皆さんにとって素晴らしい2009年になる事を祈ってます。
昨年末は色々と宿題がたまってしまい、更新できませんでした...。
いくつかの宿題は年を越してしまい、僕個人としては未だに新しい年になった気がしませんが、今年こそはここ数年言い続けている博論の完成を成し遂げたいと思ってます。
今年も宜しくお願いします。
皆さんにとって素晴らしい2009年になる事を祈ってます。
先週末は、こちらの大学院での指導教官の家で数日遅れのThanksgivingのフィエスタが行なわれ、友人達とお邪魔して来た。
彼女は長年メキシコに住んでいるがアメリカ人なので、毎年この時期には、僕ら学生や友人達を家に招待してくれ、七面鳥の丸焼きなどの料理や様々なお酒をごちそうしてくれる。
午後、1時半に地下鉄の駅でハラパから来る友人達と待ち合わせ、先生の家に向かった。途中で差し入れる飲み物などを買う。2時頃に到着すると既に多くの友人達が着いており、他の招待客を待ちながら庭でお酒を呑んでいた。僕らも彼らの輪に加わり、他の人たちが到着するのを待った。
3時過ぎには、七面鳥も焼き上がり招待客もほぼ集まったので、みんなで台所に移動し料理を取り分けて食事が始まった。

(写真:七面鳥の丸焼きを切り分ける先生、てんこ盛りになった僕の取り皿)
僕は今年、長い間メキシコシティを離れベラクルス州に居たので、久しぶりに会う友人もいてお互いに色々とこれまでの近況報告をしながら、楽しい時間を過ごす事ができた。この日はメキシコシティに住んでいる友人のところに、もう一人の友人と泊めてもらう約束になっていたので、結局、10時頃には彼女の家を出た。

(写真:皆で集合写真)
泊めてもらう約束の友人の家には11時頃に着き、さすがに小腹が空いてきていたのでコンビニでちょっとした食料を買い込み、そこから日本人3人による2次会が始まった!色々な事を話しながら、気がつけば友人の一人はワインを1瓶空けていて(ちなみに彼は昼間のフィエスタですでにワイン2本は空けていたそうである...)、僕も焼酎を一人で半分くらい呑んでいた。
ふと外を見ると既に明るくなり始め、時計は7時近くになっていた...。さすがに僕も眠くなってきたのでこの辺で勘弁してもらう事にして、2次会はお開きとなった。よく考えると途中の移動時間などを差し引いても15時間くらい呑んでいた事になる...。
彼女は長年メキシコに住んでいるがアメリカ人なので、毎年この時期には、僕ら学生や友人達を家に招待してくれ、七面鳥の丸焼きなどの料理や様々なお酒をごちそうしてくれる。
午後、1時半に地下鉄の駅でハラパから来る友人達と待ち合わせ、先生の家に向かった。途中で差し入れる飲み物などを買う。2時頃に到着すると既に多くの友人達が着いており、他の招待客を待ちながら庭でお酒を呑んでいた。僕らも彼らの輪に加わり、他の人たちが到着するのを待った。
3時過ぎには、七面鳥も焼き上がり招待客もほぼ集まったので、みんなで台所に移動し料理を取り分けて食事が始まった。
(写真:七面鳥の丸焼きを切り分ける先生、てんこ盛りになった僕の取り皿)
僕は今年、長い間メキシコシティを離れベラクルス州に居たので、久しぶりに会う友人もいてお互いに色々とこれまでの近況報告をしながら、楽しい時間を過ごす事ができた。この日はメキシコシティに住んでいる友人のところに、もう一人の友人と泊めてもらう約束になっていたので、結局、10時頃には彼女の家を出た。
(写真:皆で集合写真)
泊めてもらう約束の友人の家には11時頃に着き、さすがに小腹が空いてきていたのでコンビニでちょっとした食料を買い込み、そこから日本人3人による2次会が始まった!色々な事を話しながら、気がつけば友人の一人はワインを1瓶空けていて(ちなみに彼は昼間のフィエスタですでにワイン2本は空けていたそうである...)、僕も焼酎を一人で半分くらい呑んでいた。
ふと外を見ると既に明るくなり始め、時計は7時近くになっていた...。さすがに僕も眠くなってきたのでこの辺で勘弁してもらう事にして、2次会はお開きとなった。よく考えると途中の移動時間などを差し引いても15時間くらい呑んでいた事になる...。
先週末に、ハラパからテオティワカンに引っ越して来た。
ハラパには友達も多く、町自体も気に入っていたし、仕事も若干残っていたので本当はもう少し向こうに居たかった。でも、そろそろ年末も近づいて来たので博論を進めなければならない。そして、その博論の為に必要な書籍は全てテオティワカンに置いたままになっていた...。
そんなわけで、後ろ髪をひかれつつも意を決して戻ってくる事にした。
今週は部屋に置きっぱなしになっていた荷物の中から、とりあえず必要なものを取り出したり、移民局で住所変更の手続きをしたりしている間に1週間が終わってしまった。しかも、急遽明日から以前お世話になっていた某先生のブロジェクとのお手伝いで1週間現場に出る事に...。
博論を進める為に帰って来たつもりが、殆ど進める事ができてない...。
いったい、どうなってるんだ!ハラパに戻りたい...
ハラパには友達も多く、町自体も気に入っていたし、仕事も若干残っていたので本当はもう少し向こうに居たかった。でも、そろそろ年末も近づいて来たので博論を進めなければならない。そして、その博論の為に必要な書籍は全てテオティワカンに置いたままになっていた...。
そんなわけで、後ろ髪をひかれつつも意を決して戻ってくる事にした。
今週は部屋に置きっぱなしになっていた荷物の中から、とりあえず必要なものを取り出したり、移民局で住所変更の手続きをしたりしている間に1週間が終わってしまった。しかも、急遽明日から以前お世話になっていた某先生のブロジェクとのお手伝いで1週間現場に出る事に...。
博論を進める為に帰って来たつもりが、殆ど進める事ができてない...。
いったい、どうなってるんだ!ハラパに戻りたい...
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