オルメカ文化研究者の日誌
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今日はハラパ滞在最後の日曜日になった。もともと、2ヶ月の予定でハラパに来たのだが、博物館の夏休みに被ってしまったり、他の休日などもあり結局3ヶ月以上滞在してしまった。
そろそろ、仕事の方も目処が着いて来たのでこの辺りでハラパから離れ博論に集中しようと思う。ここハラパには友達も多いので楽しく暮らす事ができた。なので、本当はハラパを離れるのは嫌なのだが博論を進める為に必要な大量の書籍は全てテオティワカンに置きっぱなしになっているのでどうしても戻らなくてはならない...。それらを全て持ってくる事ができれば良いのだが、あまりに大量にありすぎてそれもできない...。そんな訳で今週の金曜日にはハラパを離れる事にする...。
以前からこれまでお世話になった滞在先のMaríaの家族に、僕の料理をごちそうする約束をしていたので、最後の日曜日を利用して準備する事にした。
必要な材料は昨日のうちに買い込んで来たので、昼過ぎから支度をする。メニューはチャーハン、回鍋肉もどき、そして鶏肉のパイン煮。本当は典型的な日本食を作ってあげたかったのだが、ここハラパで材料を揃えるのが難しかったのと、なにより、僕自身が「典型的」な日本食の作り方を知らないので、こういったメニューになってしまった...。
前回、Robertoの家でチャーハンを作った時はお米に対する水の量がやや多かったのと、炊きあがった白米をすぐに炒めてしまったので、今回はきちんと計量して炊きあがったあとはしばらく放置して白米を冷ます事にした。おかげで、今回はちゃんとパラパラのチャーハンが完成した。
回鍋肉もどきには普段は豆板醤を使うのだが今回は見つける事ができず、似たような調味料を使った。他のおかずもまあまあの出来だったので、まあ、良しとしよう。

(写真:完成した料理)
今日は友人Maríaは先月からオアハカに仕事に行っているので、Maríaのお母さん、お母さんの彼氏、Maríaのお兄さん、お兄さんの彼女というメンバーになった。まあ、Maríaとはいずれまた一緒に働く事もあるだろうからその時にでも何か作ってあげる事にしよう。大量に作りすぎたかなと心配したが、幸いにも、4人とも気に入ってくれたようで殆ど完食してくれた。

途中から、近所に住むMaríaの伯父さんと彼の友人達がやって来て、生演奏が始まった。楽しい食事会になった。

(写真:生演奏)
そろそろ、仕事の方も目処が着いて来たのでこの辺りでハラパから離れ博論に集中しようと思う。ここハラパには友達も多いので楽しく暮らす事ができた。なので、本当はハラパを離れるのは嫌なのだが博論を進める為に必要な大量の書籍は全てテオティワカンに置きっぱなしになっているのでどうしても戻らなくてはならない...。それらを全て持ってくる事ができれば良いのだが、あまりに大量にありすぎてそれもできない...。そんな訳で今週の金曜日にはハラパを離れる事にする...。
以前からこれまでお世話になった滞在先のMaríaの家族に、僕の料理をごちそうする約束をしていたので、最後の日曜日を利用して準備する事にした。
必要な材料は昨日のうちに買い込んで来たので、昼過ぎから支度をする。メニューはチャーハン、回鍋肉もどき、そして鶏肉のパイン煮。本当は典型的な日本食を作ってあげたかったのだが、ここハラパで材料を揃えるのが難しかったのと、なにより、僕自身が「典型的」な日本食の作り方を知らないので、こういったメニューになってしまった...。
前回、Robertoの家でチャーハンを作った時はお米に対する水の量がやや多かったのと、炊きあがった白米をすぐに炒めてしまったので、今回はきちんと計量して炊きあがったあとはしばらく放置して白米を冷ます事にした。おかげで、今回はちゃんとパラパラのチャーハンが完成した。
回鍋肉もどきには普段は豆板醤を使うのだが今回は見つける事ができず、似たような調味料を使った。他のおかずもまあまあの出来だったので、まあ、良しとしよう。
(写真:完成した料理)
今日は友人Maríaは先月からオアハカに仕事に行っているので、Maríaのお母さん、お母さんの彼氏、Maríaのお兄さん、お兄さんの彼女というメンバーになった。まあ、Maríaとはいずれまた一緒に働く事もあるだろうからその時にでも何か作ってあげる事にしよう。大量に作りすぎたかなと心配したが、幸いにも、4人とも気に入ってくれたようで殆ど完食してくれた。
途中から、近所に住むMaríaの伯父さんと彼の友人達がやって来て、生演奏が始まった。楽しい食事会になった。
(写真:生演奏)
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先週は色々とあったので、すべてまとめて書いてしまいます。
月曜日
僕が整理作業の為に間借りしている人類学博物館で、死者の日のための祭壇が用意され、皆にタマーレス、パン、ホットチョコレートがふるまわれました。ちょうどお昼時でお腹が空いていた僕は調子にのってパン2つ、タマーレスを3つ食べ、そしてホットチョコレートを2杯も飲んでしまったので、さすがにその日の夕飯は殆ど食べれませんでした...。
火曜日
博物館の向かい側にあるベラクルス大学の人類学研究所でも死者の日の為の祭壇が用意され、夕方7時からその開催セレモニーがあるという事で友人達と再びタマーレスを求めて出かけました。セレモニーには沢山の人が集まっていて、なかなか友人たちを見つける事ができませんでしたが、携帯電話のおかげでなんとか友人達と合流する事ができ、パン、タマーレス、ホットチョコレートの3点セットにもありつく事ができました。この日は、仕事のあと一度家に帰り夕飯を食べてから来たのですが、この3点セットの為に若干控えめの夕食にしたので美味しくそれらも食べる事ができました。

(写真:研究所の入り口、展示されていた祭壇の1つ)
水曜日
この日から博物館でメキシコ湾沿岸地域北部のワステカ文化に関するシンポジウムが始まりました。僕の専門はメキシコ湾沿岸地域南部のオルメカ文化で、時期も全く違うのですが、色々と興味深い発表もあるようだったのでお仕事は少しお休みして聞いてみる事にしました。初日は10時から2時と5時から8時の二部構成になっていました。

(写真:シンポジウムの様子)
木曜日
この日のシンポジウムは午後の部だけだったので、4時まではお仕事をして5時から発表を聞きに行きました。この日は発表の多くが図像に関するもので僕の博論も図像を扱うので色々と参考になる部分がありました。ただ、ワステカ文化はメソアメリカの時代編年で古典期の終わり頃からスペイン人が到来する頃までにあたるようで色々と絵文書などを使って解釈されているようですが、オルメカ文化は先古典期に相当し絵文書などを直接使用することはできません...。
シンポジウムが終わったあとはまたまたパン、タマーレス、ホットチョコレートがふるまわれ、もちろん僕もごちそうになりました。
土曜日
11月1日、メキシコの死者の日が始まる日です。まあ、日本のお盆のようなもので各家庭で祭壇を用意し死者が帰ってくるのを迎えるようです。友人達とハラパの近くにあるNaolincoという小さな町にその様子を見に行く事になり出かけました。午後4時頃に町に着くとすでに人が集まり始めていて、レストランなどはかなり混雑してました。まずは腹ごしらえという事でレストランで食事。町の至る所で死者の日の飾り付けがされていて、レストランも綺麗な祭壇が用意されていました。

(写真:レストランの中で。注文した料理(ちょっと食べかけ...))
食事の後は、町の文化会館のようなところに展示されている祭壇を見に行く事に。
なかには骸骨の人形や絵画などが色鮮やかな姿で展示されていました。もちろん、立派な祭壇も用意されていて多くの人たちが見学に訪れていました。


(写真:綺麗に着飾った骸骨達。祭壇と天井の飾り付け)
次は町の墓地を見に行く事に。墓地についてみると、まだ時間が早かったせいかあまり人は集まっていませんでした。まあ、おかげでゆっくりと墓地の中を歩き回る事ができ、写真も撮る事ができました。墓地は小さな家々があつまった小さな町のようでした。どのお墓も個性的で、とても綺麗に飾られています。

(写真:墓地の様子)
最後に、喫茶店でコーヒーを飲みパンを食べ帰る事に。
パンは死者の日のパンが出てくると思ったら、なんだか普通っぽいパンが出て来てちょっとガッカリでしたが、まあ美味しかったので良しとして、余ったパンも持ち帰る事にしました。

(写真:死者の日のパンと喫茶店で運ばれて来たパン...)
メキシコに来て6年以上経ちますが、死者の日の伝統的な姿を見に行ったのは今回が初めてでした。友人達の話ではメキシコでも段々とこのような伝統的な行事の様子が見られる所が減って来ているそうです...。なんとか残していって欲しいものです。
さて、ハラパでのお仕事もあと2週間弱になってしまいました。来週は気合いを入れてお仕事にけりをつけないと!
月曜日
僕が整理作業の為に間借りしている人類学博物館で、死者の日のための祭壇が用意され、皆にタマーレス、パン、ホットチョコレートがふるまわれました。ちょうどお昼時でお腹が空いていた僕は調子にのってパン2つ、タマーレスを3つ食べ、そしてホットチョコレートを2杯も飲んでしまったので、さすがにその日の夕飯は殆ど食べれませんでした...。
火曜日
博物館の向かい側にあるベラクルス大学の人類学研究所でも死者の日の為の祭壇が用意され、夕方7時からその開催セレモニーがあるという事で友人達と再びタマーレスを求めて出かけました。セレモニーには沢山の人が集まっていて、なかなか友人たちを見つける事ができませんでしたが、携帯電話のおかげでなんとか友人達と合流する事ができ、パン、タマーレス、ホットチョコレートの3点セットにもありつく事ができました。この日は、仕事のあと一度家に帰り夕飯を食べてから来たのですが、この3点セットの為に若干控えめの夕食にしたので美味しくそれらも食べる事ができました。
(写真:研究所の入り口、展示されていた祭壇の1つ)
水曜日
この日から博物館でメキシコ湾沿岸地域北部のワステカ文化に関するシンポジウムが始まりました。僕の専門はメキシコ湾沿岸地域南部のオルメカ文化で、時期も全く違うのですが、色々と興味深い発表もあるようだったのでお仕事は少しお休みして聞いてみる事にしました。初日は10時から2時と5時から8時の二部構成になっていました。
(写真:シンポジウムの様子)
木曜日
この日のシンポジウムは午後の部だけだったので、4時まではお仕事をして5時から発表を聞きに行きました。この日は発表の多くが図像に関するもので僕の博論も図像を扱うので色々と参考になる部分がありました。ただ、ワステカ文化はメソアメリカの時代編年で古典期の終わり頃からスペイン人が到来する頃までにあたるようで色々と絵文書などを使って解釈されているようですが、オルメカ文化は先古典期に相当し絵文書などを直接使用することはできません...。
シンポジウムが終わったあとはまたまたパン、タマーレス、ホットチョコレートがふるまわれ、もちろん僕もごちそうになりました。
土曜日
11月1日、メキシコの死者の日が始まる日です。まあ、日本のお盆のようなもので各家庭で祭壇を用意し死者が帰ってくるのを迎えるようです。友人達とハラパの近くにあるNaolincoという小さな町にその様子を見に行く事になり出かけました。午後4時頃に町に着くとすでに人が集まり始めていて、レストランなどはかなり混雑してました。まずは腹ごしらえという事でレストランで食事。町の至る所で死者の日の飾り付けがされていて、レストランも綺麗な祭壇が用意されていました。
(写真:レストランの中で。注文した料理(ちょっと食べかけ...))
食事の後は、町の文化会館のようなところに展示されている祭壇を見に行く事に。
なかには骸骨の人形や絵画などが色鮮やかな姿で展示されていました。もちろん、立派な祭壇も用意されていて多くの人たちが見学に訪れていました。
(写真:綺麗に着飾った骸骨達。祭壇と天井の飾り付け)
次は町の墓地を見に行く事に。墓地についてみると、まだ時間が早かったせいかあまり人は集まっていませんでした。まあ、おかげでゆっくりと墓地の中を歩き回る事ができ、写真も撮る事ができました。墓地は小さな家々があつまった小さな町のようでした。どのお墓も個性的で、とても綺麗に飾られています。
(写真:墓地の様子)
最後に、喫茶店でコーヒーを飲みパンを食べ帰る事に。
パンは死者の日のパンが出てくると思ったら、なんだか普通っぽいパンが出て来てちょっとガッカリでしたが、まあ美味しかったので良しとして、余ったパンも持ち帰る事にしました。
(写真:死者の日のパンと喫茶店で運ばれて来たパン...)
メキシコに来て6年以上経ちますが、死者の日の伝統的な姿を見に行ったのは今回が初めてでした。友人達の話ではメキシコでも段々とこのような伝統的な行事の様子が見られる所が減って来ているそうです...。なんとか残していって欲しいものです。
さて、ハラパでのお仕事もあと2週間弱になってしまいました。来週は気合いを入れてお仕事にけりをつけないと!
先日、Robertoに誘われてメキシコのプロ野球を見に行った。彼と野球を見に行くのはこれが4度目だったが、以前行った野球場はベラクルス、メキシコシティ、ミナティトランと全て異なる野球場で、今回はハラパにある野球場に行った。
試合はRobertoが応援するコルドバのチームが地元ハラパのチームに勝った。

(写真:ハラパでのメキシコプロ野球リーグ)
そして、今日はRobertoが所属する草野球チームが同じ野球場で練習試合をするということで、彼の家族とともに観戦に出かけた。残念ながら、天候に恵まれず小雨の降る中試合が始まった。

(写真:試合前にキャッチボールをするRoberto)
試合の内容は、初回に大量失点を喫したRobertoのチームが3回の裏の攻撃を終えた時点で雨が強くなってしまい中止になってしまった...。幸いRobertoも三回の裏の攻撃で代打で出場したので、なんとか試合中のRobertoの姿も写真をとる事ができた。

(写真:試合風景と打席に立つRoberto)
試合が途中で終わってしまった為、その後はRobertoの家に行って御飯を食べる事になった。前々から頼まれていた日本食を僕が作る事になり、途中で買い物をして彼の家へ。
手っ取り早くできるものということで、チャーハンとエビとブロコリーのマヨネーズ炒めを作る事にした。チャーハンは御飯を炊いた時に少し水が多かったようで、モチモチしたものになってしまったが、Robertoは気に入ってくれたようなのでまあ良しとしよう...。エビの方は普段はマヨネーズと豆板醤で炒めるのだが、今回はRobertoの家族は彼を含めて辛いものは食べないのでマヨネーズと胡椒、そして醤油で味付けをした。こちらも、皆、気に入ってくれたようなのでとりあえずの義務は果たせたのかな。

(写真:チャーハンとエビとブロコリーのマヨネーズ炒め、おまけのRoberto家のペットNena)
試合はRobertoが応援するコルドバのチームが地元ハラパのチームに勝った。
(写真:ハラパでのメキシコプロ野球リーグ)
そして、今日はRobertoが所属する草野球チームが同じ野球場で練習試合をするということで、彼の家族とともに観戦に出かけた。残念ながら、天候に恵まれず小雨の降る中試合が始まった。
(写真:試合前にキャッチボールをするRoberto)
試合の内容は、初回に大量失点を喫したRobertoのチームが3回の裏の攻撃を終えた時点で雨が強くなってしまい中止になってしまった...。幸いRobertoも三回の裏の攻撃で代打で出場したので、なんとか試合中のRobertoの姿も写真をとる事ができた。
(写真:試合風景と打席に立つRoberto)
試合が途中で終わってしまった為、その後はRobertoの家に行って御飯を食べる事になった。前々から頼まれていた日本食を僕が作る事になり、途中で買い物をして彼の家へ。
手っ取り早くできるものということで、チャーハンとエビとブロコリーのマヨネーズ炒めを作る事にした。チャーハンは御飯を炊いた時に少し水が多かったようで、モチモチしたものになってしまったが、Robertoは気に入ってくれたようなのでまあ良しとしよう...。エビの方は普段はマヨネーズと豆板醤で炒めるのだが、今回はRobertoの家族は彼を含めて辛いものは食べないのでマヨネーズと胡椒、そして醤油で味付けをした。こちらも、皆、気に入ってくれたようなのでとりあえずの義務は果たせたのかな。
(写真:チャーハンとエビとブロコリーのマヨネーズ炒め、おまけのRoberto家のペットNena)
前回更新からまたしても一月経ってしまいました...。
その間も通常通り、博物館に通ってお仕事をしていたのですが、ちょこちょことイベントもあったので、日記風に近況報告。また、長くなりますのでお時間のある時にどうぞ。
9月13日
今、僕はベラクルスの現場で一緒に働いていたMaríaの実家で部屋を借りて住んでいるのですが、前日、ベラクルスの現場の後、パナマの現場に出ていたMaríaとVickyがハラパに戻って来た。当然、他の友人達を誘い軽く呑みにでかける。
9月14日
Robertoに誘われ、ハラパから約3時間ほどのコルドバという町に行く。その日は、Robertoの奥さんの誕生日をお祝いするフィエスタが行なわれました。今までにバスで旅行する際に、何度かこの町は通過した事はあったのですがバス停を出たのは初めてでした。フィエスタは2時頃からパラパラと人が集まり始め、メンバーが入れ替わりながら夜2時頃まで続きました。翌日はメキシコの独立記念日、他の友人達と約束があったので11時頃には友人の家を出てハラパに戻る。結局、今回もコルドバの町を散策する事無く、未だに記憶にあるのはバスターミナルとRobertoの家のみ...。

(写真:フィエスタにて)
9月15日
夕方ハラパの家に戻り、一休み。
この日はメキシコの独立記念日前夜、夜9時頃から友人が集まり始める。本当は町に出るつもりだったが、結局家で皆で呑む事になる。
テキーラやつまみを買い込み、ゆったりとした雰囲気で始まるが、終わってみるとやはり
こんな感じ↓。

(写真:フィエスタ終わってみれば...)
9月16日
友人達と4人で、Acatlanというところに出かける。4人とも強烈な二日酔い。くねくね曲がりくねる山道をおよそ1時間の道中、辿り着くまでに何度も吐き気が襲う...。Acatlanは山間部にある小さな村で、とても良いところだったのですが、とにかく強烈な二日酔いが継続...。次は、体調の良い時に来たいな...。

(写真:Acatlanの丘の上から)
9月19日
この日は、Felipeの卒論の最終試験があるのでお仕事をお休みしてメキシコシティへ。
試験は問題なく終わり、無事に学位が授与された。これで、彼も名実共に立派な考古学者の仲間入り。メキシコでは、学部の授業履修が終わってから卒論を提出するのですが、多くの人たちが、履修後数年経って学位を取ります。彼は一体何年かかったんだろう...。年齢は遥かに僕の上をいってます。まあ、何はともあれ無事に学位を取った彼の家で皆でお祝い。当然、テーブルの上には沢山のビールやテキーラが並び、皆で大騒ぎ。

(写真:試験の様子)
9月20日
この時期、メキシコシティの国立人類学博物館で年に一度のブックフェスティバルが行なわれる。沢山の出版社が集まり、定価の半額近くで本が販売されるので僕はいつもこの時期を楽しみにしてます。当然、今回の友人の最終試験でメキシコシティに来た事を利用しないはずも無く、午前中からブックフェスティバルに出かける。ここ数年、めぼしい本が無かったのですが、今回は色々と興味深い本があったり、博論の為にと色々な関連図書を大量に購入する。午後からは以前の職場テオティワカンのラボへ。
提出しなければいけなかった原稿の図版を無事に渡す。夜は当然呑み会。
9月21日
ハラパに戻る。
9月25日
数日前に指導教官の先生から同期の友人(彼の名前もFelipe)の最終試験があるとの事で、再びメキシコシティへ。今回は試験が午前9時からという事なので夜1時半にハラパを出る。朝6時半にメキシコシティのバスターミナルに着き、帰りの切符を買いそのまま大学へ向かう。大学に着くと8時で少し早かったので、朝食をとりながら友人達が到着するのを待つ事にする。しかし、8時半になっても誰も現れない。本人すら現れない...。不安になりながらも待っていると、指導教官の先生が到着、その後、他の友人や先生方が到着し、本人は10分前くらいになってようやく現れた。無事に試験は終わり友人は博士になった。同じ指導教官につく同期の中で一番乗りである。
これまでにも何人か僕と同じ指導教官についている友人達の最終試験があったのですが、これまでは皆、大学内で軽い食事をする程度で終わっていたので、今回もそうだろうと思っていたら、今回は場所を変えてフィエスタをするとの事。そうなると、帰りのバスには間に合わなくなってしまうので、バスのチケットを変更し、フィエスタへと向かう。当然、テキーラやワインなどが振る舞われ、皆で彼のお祝いをし、僕はほろ酔い加減で後ろ髪を引かれつつもハラパへの帰途につく...。

(写真:試験の様子)
9月26日
整理作業の為に博物館に行く。このところ、日本で12月出版の学会誌に投稿する為の原稿を今回の調査の団長達と書いていたのですが、ここへ来て団長から連絡があり、助成金を出してもらったナショナルジオグラフィックに出版許可を得る為の申請をするのを忘れていたというメールが届く...。仕方が無いので、今回の調査の原稿は来年にまわすことに。で、代わりに副団長Robertoの学生で今回のArroyo Pesqueroの調査にも参加したMaríaの卒論を元にMedias Aguas遺跡の埋葬に関する調査速報を3人で投稿する事になった。僕自身も2004年に参加した調査の資料をもとに書かれたものだし、内容はすでに出来上がっているものなので、なんとか締め切りまでの1週間で完成させられるだろうということになったのである。
10月3日
若干締め切りを過ぎてしまったが、なんとか原稿を完成させ日本語に翻訳し日本にメールで送る。
前日はRobertoの誕生日だったので、友人達とお祝いをすることに。本人はただ呑みに行くつもりのようだったが、皆でケーキを買いMaríaの家で彼が来るのを待つ事になった。バーに直行するつもりだった彼は、訳も分からず突然Maríaの家に呼び出され、そこに集まった皆(12、3人居たかな?)からケーキと歌でお祝いされビックリしたようだったがとても喜んでくれた。ケーキの後は、予定通りバーに移動しビールでお祝い。そして、締めは当然タコス。

(写真:飲み屋での様子)
10月4日
この日は、ハラパから少し離れたところにあるランチョ・ビエホという所に住んでいるPamelaの家でフィエスタ。夕方6時集合のはずが結局全員が集まったのは9時過ぎ...。それから彼女の家に皆で車で移動。途中、ピザやつまみのスナック菓子、それからウイスキーとウォッカを買い込む。ピザやサラダを準備しながら呑み始める。僕は空腹に我慢できず、一足お先に温めなおしたピザをつまみ食い。

(写真:皆でピザとサラダを肴に呑み始める)
最初は、写真のように部屋の中で穏やかに呑んでいたのですが、ピザが無くなった頃から皆でデラスに出始める。

(写真:テラスにて記念撮影)
そして終わる頃には...

(写真:終わり間近)
前日は夜着いて、周りが真っ暗だったので気がつきませんでしたが、夜が開けてみるととても景色の良い場所だったことが分かりました。

(写真:翌朝のテラスからの景色)
10月5日
翌日、Saraíが仕事を求めてゲレロ州に出発するという事で、再びMaríaの家に友人達が集まる。さすがに、前日たらふく呑んだので、この日はジュースとお菓子のみ、のはずだったのですが、終わってみればワインが1本空いてました...。まあ、6人でワイン1本で済んだ事の方が奇跡的か。
10月6日
週末、Tuxpanというところで3週間働いていたErickaとPaulinaが帰って来たという事で、MaríaとVickyと共にErickaの所に遊びに行く。コーヒーを飲みながら、色々と向こうの現場の話を聞く。この日は珍しくアルコール抜き!
10月12日
この日は、居候先のMaríaが仕事を求めてオアハカ州に出発するので、午前中に友人達で集まって朝食を食べる。2ヶ月ほど向こうで仕事をするらしい。こっちでは、僕の友人達は頻繁に仕事を求めて自宅を離れメキシコ国内の至る所に出かけていく。Maríaもこれまでも、色々な所に仕事をしに出かけているが、いつも誰か友達と一緒だったらしく、今回は初めて一人で知らない所に仕事に行くらしい。まあ、考古学の仕事はどこに行っても基本は同じだからきっと何とかなるんだろう。
なんだか、今回も呑み会日記みたいになってしまいました...。でも、この間も、ちゃんと整理作業はしてましたよ。それに、ちゃんと小さな論文も提出したしね。
次回はこんなに長くならないように、もう少し頻繁に更新しないと...。
その間も通常通り、博物館に通ってお仕事をしていたのですが、ちょこちょことイベントもあったので、日記風に近況報告。また、長くなりますのでお時間のある時にどうぞ。
9月13日
今、僕はベラクルスの現場で一緒に働いていたMaríaの実家で部屋を借りて住んでいるのですが、前日、ベラクルスの現場の後、パナマの現場に出ていたMaríaとVickyがハラパに戻って来た。当然、他の友人達を誘い軽く呑みにでかける。
9月14日
Robertoに誘われ、ハラパから約3時間ほどのコルドバという町に行く。その日は、Robertoの奥さんの誕生日をお祝いするフィエスタが行なわれました。今までにバスで旅行する際に、何度かこの町は通過した事はあったのですがバス停を出たのは初めてでした。フィエスタは2時頃からパラパラと人が集まり始め、メンバーが入れ替わりながら夜2時頃まで続きました。翌日はメキシコの独立記念日、他の友人達と約束があったので11時頃には友人の家を出てハラパに戻る。結局、今回もコルドバの町を散策する事無く、未だに記憶にあるのはバスターミナルとRobertoの家のみ...。
(写真:フィエスタにて)
9月15日
夕方ハラパの家に戻り、一休み。
この日はメキシコの独立記念日前夜、夜9時頃から友人が集まり始める。本当は町に出るつもりだったが、結局家で皆で呑む事になる。
テキーラやつまみを買い込み、ゆったりとした雰囲気で始まるが、終わってみるとやはり
こんな感じ↓。
(写真:フィエスタ終わってみれば...)
9月16日
友人達と4人で、Acatlanというところに出かける。4人とも強烈な二日酔い。くねくね曲がりくねる山道をおよそ1時間の道中、辿り着くまでに何度も吐き気が襲う...。Acatlanは山間部にある小さな村で、とても良いところだったのですが、とにかく強烈な二日酔いが継続...。次は、体調の良い時に来たいな...。
(写真:Acatlanの丘の上から)
9月19日
この日は、Felipeの卒論の最終試験があるのでお仕事をお休みしてメキシコシティへ。
試験は問題なく終わり、無事に学位が授与された。これで、彼も名実共に立派な考古学者の仲間入り。メキシコでは、学部の授業履修が終わってから卒論を提出するのですが、多くの人たちが、履修後数年経って学位を取ります。彼は一体何年かかったんだろう...。年齢は遥かに僕の上をいってます。まあ、何はともあれ無事に学位を取った彼の家で皆でお祝い。当然、テーブルの上には沢山のビールやテキーラが並び、皆で大騒ぎ。
(写真:試験の様子)
9月20日
この時期、メキシコシティの国立人類学博物館で年に一度のブックフェスティバルが行なわれる。沢山の出版社が集まり、定価の半額近くで本が販売されるので僕はいつもこの時期を楽しみにしてます。当然、今回の友人の最終試験でメキシコシティに来た事を利用しないはずも無く、午前中からブックフェスティバルに出かける。ここ数年、めぼしい本が無かったのですが、今回は色々と興味深い本があったり、博論の為にと色々な関連図書を大量に購入する。午後からは以前の職場テオティワカンのラボへ。
提出しなければいけなかった原稿の図版を無事に渡す。夜は当然呑み会。
9月21日
ハラパに戻る。
9月25日
数日前に指導教官の先生から同期の友人(彼の名前もFelipe)の最終試験があるとの事で、再びメキシコシティへ。今回は試験が午前9時からという事なので夜1時半にハラパを出る。朝6時半にメキシコシティのバスターミナルに着き、帰りの切符を買いそのまま大学へ向かう。大学に着くと8時で少し早かったので、朝食をとりながら友人達が到着するのを待つ事にする。しかし、8時半になっても誰も現れない。本人すら現れない...。不安になりながらも待っていると、指導教官の先生が到着、その後、他の友人や先生方が到着し、本人は10分前くらいになってようやく現れた。無事に試験は終わり友人は博士になった。同じ指導教官につく同期の中で一番乗りである。
これまでにも何人か僕と同じ指導教官についている友人達の最終試験があったのですが、これまでは皆、大学内で軽い食事をする程度で終わっていたので、今回もそうだろうと思っていたら、今回は場所を変えてフィエスタをするとの事。そうなると、帰りのバスには間に合わなくなってしまうので、バスのチケットを変更し、フィエスタへと向かう。当然、テキーラやワインなどが振る舞われ、皆で彼のお祝いをし、僕はほろ酔い加減で後ろ髪を引かれつつもハラパへの帰途につく...。
(写真:試験の様子)
9月26日
整理作業の為に博物館に行く。このところ、日本で12月出版の学会誌に投稿する為の原稿を今回の調査の団長達と書いていたのですが、ここへ来て団長から連絡があり、助成金を出してもらったナショナルジオグラフィックに出版許可を得る為の申請をするのを忘れていたというメールが届く...。仕方が無いので、今回の調査の原稿は来年にまわすことに。で、代わりに副団長Robertoの学生で今回のArroyo Pesqueroの調査にも参加したMaríaの卒論を元にMedias Aguas遺跡の埋葬に関する調査速報を3人で投稿する事になった。僕自身も2004年に参加した調査の資料をもとに書かれたものだし、内容はすでに出来上がっているものなので、なんとか締め切りまでの1週間で完成させられるだろうということになったのである。
10月3日
若干締め切りを過ぎてしまったが、なんとか原稿を完成させ日本語に翻訳し日本にメールで送る。
前日はRobertoの誕生日だったので、友人達とお祝いをすることに。本人はただ呑みに行くつもりのようだったが、皆でケーキを買いMaríaの家で彼が来るのを待つ事になった。バーに直行するつもりだった彼は、訳も分からず突然Maríaの家に呼び出され、そこに集まった皆(12、3人居たかな?)からケーキと歌でお祝いされビックリしたようだったがとても喜んでくれた。ケーキの後は、予定通りバーに移動しビールでお祝い。そして、締めは当然タコス。
(写真:飲み屋での様子)
10月4日
この日は、ハラパから少し離れたところにあるランチョ・ビエホという所に住んでいるPamelaの家でフィエスタ。夕方6時集合のはずが結局全員が集まったのは9時過ぎ...。それから彼女の家に皆で車で移動。途中、ピザやつまみのスナック菓子、それからウイスキーとウォッカを買い込む。ピザやサラダを準備しながら呑み始める。僕は空腹に我慢できず、一足お先に温めなおしたピザをつまみ食い。
(写真:皆でピザとサラダを肴に呑み始める)
最初は、写真のように部屋の中で穏やかに呑んでいたのですが、ピザが無くなった頃から皆でデラスに出始める。
(写真:テラスにて記念撮影)
そして終わる頃には...
(写真:終わり間近)
前日は夜着いて、周りが真っ暗だったので気がつきませんでしたが、夜が開けてみるととても景色の良い場所だったことが分かりました。
(写真:翌朝のテラスからの景色)
10月5日
翌日、Saraíが仕事を求めてゲレロ州に出発するという事で、再びMaríaの家に友人達が集まる。さすがに、前日たらふく呑んだので、この日はジュースとお菓子のみ、のはずだったのですが、終わってみればワインが1本空いてました...。まあ、6人でワイン1本で済んだ事の方が奇跡的か。
10月6日
週末、Tuxpanというところで3週間働いていたErickaとPaulinaが帰って来たという事で、MaríaとVickyと共にErickaの所に遊びに行く。コーヒーを飲みながら、色々と向こうの現場の話を聞く。この日は珍しくアルコール抜き!
10月12日
この日は、居候先のMaríaが仕事を求めてオアハカ州に出発するので、午前中に友人達で集まって朝食を食べる。2ヶ月ほど向こうで仕事をするらしい。こっちでは、僕の友人達は頻繁に仕事を求めて自宅を離れメキシコ国内の至る所に出かけていく。Maríaもこれまでも、色々な所に仕事をしに出かけているが、いつも誰か友達と一緒だったらしく、今回は初めて一人で知らない所に仕事に行くらしい。まあ、考古学の仕事はどこに行っても基本は同じだからきっと何とかなるんだろう。
なんだか、今回も呑み会日記みたいになってしまいました...。でも、この間も、ちゃんと整理作業はしてましたよ。それに、ちゃんと小さな論文も提出したしね。
次回はこんなに長くならないように、もう少し頻繁に更新しないと...。
昨日、早朝成田に到着し、父の迎えの車に乗り無事に実家に戻ってきました。
昨晩は大学の学部時代の友人達と久しぶりに再開し、居酒屋からラーメンとフルコースを楽しむ事が出来ました。はたして、今回は何度居酒屋に行く事ができるのか?
もちろん、呑みに帰ってきた訳ではないのですが...
昨晩は大学の学部時代の友人達と久しぶりに再開し、居酒屋からラーメンとフルコースを楽しむ事が出来ました。はたして、今回は何度居酒屋に行く事ができるのか?
もちろん、呑みに帰ってきた訳ではないのですが...
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