オルメカ文化研究者の日誌
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そろそろ、ブログの名称を「呑み会日記」に変更しようかどうか迷い始めてます...。だって、ブログの内容の半分以上が呑み会の話になってしまっている気が...。
ま、それはさておき、先日もまたまたフィエスタがありました。
11日火曜日、お仕事が終わった後、これまで僕らと一緒にラボで働いていた女性がトゥルムというカリブ海に面した街に引っ越す事になり、その送別会が行われました。彼女は17年間このラボで働いたそうです。
今回のフィエスタは他にも開催趣旨がありました。
先週末に今一緒に働いているメキシコ人考古学者E君のところに女の子が生まれました。少し早産だったそうですが、赤ちゃんも奥さんも元気らしいです。
それから、僕らが発掘した考古遺物の修復をしてくれている日本人の女性がこちらの大学院の修士課程の入試に合格したそうです。彼女は長くこちらに住んで保存修復学の学部をこちらで卒業した人です。
3人ともこれから色々と大変だと思いますが、がんばってほしいものです。
そんな、3人と他のお仕事の仲間たちの為に、久々に台所に立ちました。
今回作った料理は、麻婆豆腐とエビチリです。

今回の作品
メキシコ人にはエビチリの方が好評でした。聞くと、豆腐自体になじみが無いので何人かは豆腐の味に馴染めなかったそうです。でも、エビチリの方は皆の気に入ったようであっという間になくなってしまいました。次回、もし機会があればエビチリをメインにしてみようと思います。

フィエスタの一風景
12日水曜日。メキシコでは12月12日はグアダルーペの日で以前は公的な休日だったのですが、今は平日と同じ扱いになっています。ただ、まだまだ信仰心の厚い人たちがメキシコには多く、大勢の人たちがメキシコシティのグアダルーペ寺院に向かって巡礼にやってきます。みんな何時間もあるいは何日もかけて歩いてやってきます。
僕らの周りにもそういう人は多く、そのため僕らのお仕事もこの日はお休みとなりました。おかげで、前日のフィエスタの疲れを癒す事ができました。
しかししかし、この日もお食事会というか小さなフィエスタがありました。
会の趣旨はまたまた、前述の女性の送別会。この日は一緒に働いている別の女性が彼女の家に皆を招待してくれました。
手ぶらで行くのも気が引けたので、友達と白ワインとテキーラを買い、それを持ってお邪魔してきました。
前日のフィエスタは夜1時頃まで飲んでいたので、「今日は早めに帰ろう!翌日はお仕事があるし」っと思って乗り込んだのですが、終わってみれば夜中の2時でした...。10時過ぎに始めたモノポリーがいけなかった...。まあ、メキシコのフィエスタはこんなもんです。
さて、今年も残すところ約3週間。一体あと何回フィエスタがあるのだろう。
ま、それはさておき、先日もまたまたフィエスタがありました。
11日火曜日、お仕事が終わった後、これまで僕らと一緒にラボで働いていた女性がトゥルムというカリブ海に面した街に引っ越す事になり、その送別会が行われました。彼女は17年間このラボで働いたそうです。
今回のフィエスタは他にも開催趣旨がありました。
先週末に今一緒に働いているメキシコ人考古学者E君のところに女の子が生まれました。少し早産だったそうですが、赤ちゃんも奥さんも元気らしいです。
それから、僕らが発掘した考古遺物の修復をしてくれている日本人の女性がこちらの大学院の修士課程の入試に合格したそうです。彼女は長くこちらに住んで保存修復学の学部をこちらで卒業した人です。
3人ともこれから色々と大変だと思いますが、がんばってほしいものです。
そんな、3人と他のお仕事の仲間たちの為に、久々に台所に立ちました。
今回作った料理は、麻婆豆腐とエビチリです。
今回の作品
メキシコ人にはエビチリの方が好評でした。聞くと、豆腐自体になじみが無いので何人かは豆腐の味に馴染めなかったそうです。でも、エビチリの方は皆の気に入ったようであっという間になくなってしまいました。次回、もし機会があればエビチリをメインにしてみようと思います。
フィエスタの一風景
12日水曜日。メキシコでは12月12日はグアダルーペの日で以前は公的な休日だったのですが、今は平日と同じ扱いになっています。ただ、まだまだ信仰心の厚い人たちがメキシコには多く、大勢の人たちがメキシコシティのグアダルーペ寺院に向かって巡礼にやってきます。みんな何時間もあるいは何日もかけて歩いてやってきます。
僕らの周りにもそういう人は多く、そのため僕らのお仕事もこの日はお休みとなりました。おかげで、前日のフィエスタの疲れを癒す事ができました。
しかししかし、この日もお食事会というか小さなフィエスタがありました。
会の趣旨はまたまた、前述の女性の送別会。この日は一緒に働いている別の女性が彼女の家に皆を招待してくれました。
手ぶらで行くのも気が引けたので、友達と白ワインとテキーラを買い、それを持ってお邪魔してきました。
前日のフィエスタは夜1時頃まで飲んでいたので、「今日は早めに帰ろう!翌日はお仕事があるし」っと思って乗り込んだのですが、終わってみれば夜中の2時でした...。10時過ぎに始めたモノポリーがいけなかった...。まあ、メキシコのフィエスタはこんなもんです。
さて、今年も残すところ約3週間。一体あと何回フィエスタがあるのだろう。
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丸々ひと月、更新が滞ってしまった...。
このまま放っておくと続かなくなってしまいそうなので、何か書いておこうと思う。
このひと月の間に何回フィエスタがあったんだろう???3回?4回?
一緒に仕事をしているメキシコ人の作業員のA君の誕生日(これは10月だったっけ?)、指導教官の先生のお家で行われたサンクスギビングのパーティ、テオティワカンの発掘の時などにお世話になった作業員さんZさんのお誕生日、ラボで働いている女性Mさんの子供が洗礼を受けた記念のフィエスタ。やっぱり覚えているだけで3回か4回はあったのかな。
もちろん、このひと月、フィエスタ三昧で遊んでいた訳じゃなくて、ちゃんと通常のお仕事もしていたし、11月後半は日本で行われるはずの某展覧会の準備のお手伝いなんかもしてました。
それから、今のお仕事は一応来年3月までという事になってるので、それ以降のお仕事も探したりしてたんです。そして、ちゃんと見つけましたよ!4月からすぐにという訳ではないのですが、5月末か6月初めから、ベラクルス州南部のArroyo Pesqueroという遺跡での発掘調査とその後の整理作業。れっきとしたオルメカ文化に関係する遺跡での調査です!
期間は発掘と整理作業でおよそ半年くらい。
という訳で、来年の今頃までは何とか食いつなげる見通しが立ちました。
あとは、来年の調査までに博論をある程度進めて、調査の為の下調べのお勉強をしないと!
このまま放っておくと続かなくなってしまいそうなので、何か書いておこうと思う。
このひと月の間に何回フィエスタがあったんだろう???3回?4回?
一緒に仕事をしているメキシコ人の作業員のA君の誕生日(これは10月だったっけ?)、指導教官の先生のお家で行われたサンクスギビングのパーティ、テオティワカンの発掘の時などにお世話になった作業員さんZさんのお誕生日、ラボで働いている女性Mさんの子供が洗礼を受けた記念のフィエスタ。やっぱり覚えているだけで3回か4回はあったのかな。
もちろん、このひと月、フィエスタ三昧で遊んでいた訳じゃなくて、ちゃんと通常のお仕事もしていたし、11月後半は日本で行われるはずの某展覧会の準備のお手伝いなんかもしてました。
それから、今のお仕事は一応来年3月までという事になってるので、それ以降のお仕事も探したりしてたんです。そして、ちゃんと見つけましたよ!4月からすぐにという訳ではないのですが、5月末か6月初めから、ベラクルス州南部のArroyo Pesqueroという遺跡での発掘調査とその後の整理作業。れっきとしたオルメカ文化に関係する遺跡での調査です!
期間は発掘と整理作業でおよそ半年くらい。
という訳で、来年の今頃までは何とか食いつなげる見通しが立ちました。
あとは、来年の調査までに博論をある程度進めて、調査の為の下調べのお勉強をしないと!
またまた、更新が遅れてしまいました...。という訳で、今回も少々長いブログになりますが、おつきあいください。
前回、更新した後、お仕事の方は某洞窟の測量が終わり、太陽のピラミッドに開けられた発掘用のトンネルの測量に着手しました。

洞窟の中にて記念撮影(きっともう中に入ることは無いと思うので)
10月16日は夜10時頃、一緒に働いている仲間から携帯に「急用だからすぐにラボに来るように」とメッセージが入りました。
行ってみると予想通り飲み会をするということでした。飲み会の目的は一緒に働いている女性の誕生日だからとのこと。そういうことならと、早速ビールを買いにお店に走りました。平日ということもあり、僕らも翌日は7時半から仕事があるし、お仕事のボス、 DNAの分析の為に日本と中国から来てもらっている 形質人類学者の方々、そしてお誕生日を迎えた本人が翌日は朝4時起きでオアハカに資料のサンプリングに行くということで、早々(?)に1時頃切り上げました。
10月17日、いつもどおり5時45分に起き、シャワーを浴びて身支度を整えていると、6時半頃に既にオアハカに向けて出発しているはずのプロジェクトのボスから電話があり「10分でオアハカに行く支度をしてラボに来るように」????と言われ、分けも分からず3日分の着替えを鞄に積め、現場着から普段着に着替えラボに行ってみると、一人で運転するのは大変だし何かあるかもしれないから僕も一緒について行くようにとのことでした...。そんなことは、最初から分かっているんだからもっと早く言ってくれればいいのに...と思いながらも、そんなボスの行動に慣れっこになってしまっている僕は、10分後にはオアハカに向けて出発したワンボックスカーに乗っていたのでした。


オアハカまでの道のりで写した景色。500キロほどの行程なので周りの景色も少しずつ変わってきます
結局、行きは何事も無くボスが一人で運転して無事にオアハカに辿り着きました。
ホントは、朝ガソリンを入れた時に、車の後輪が2本ともかなりツルツルに磨り減っていることが判明したのですが、レンタカー屋が後に積んでいたという2本の新しいタイヤを邪魔だからラボに置いてきた(!)ということで、なす術も無くそのまま走ってきたのです...。
現地での仕事の詳細を聞かされず、運転のお手伝いということで急遽連れてこられた僕は、わけもわからず発掘された骨がおいてあるところへとりあえずついて行くことになりました。

昔の修道院の一部が研究所兼遺物倉庫になっていました
DNAのサンプル採取なんてよく分からない僕は、とりあえずサンプルとなる骨の写真をとってお手伝いをすることになりました。とはいえ、専門家の方達が出土した人骨を観察し、サンプルがとれそうな骨を選び出し、現地の人たちがその骨の記録をとったりするので、僕のお仕事はかなり暇なものでした。
幸い、この施設の責任者であるMarcus Winter博士が僕の専門がオルメカ文化であるということを聞いて、そこに保管されているオルメカ文化関係の土器を見せてくれました。この土器は、少し前に学術誌に掲載された論文で扱われた土器で、オルメカ文化の中心地から運ばれて来たであろうというものと、それらの土器を在地でまねて作ったと考えられる土器でした。Winter博士の説明を聞くと、たしかに博士の言うように運ばれてきたと考えられる土器は非常に精巧に作られており、在地で作られたと考えられる土器はやや稚拙な感じがするものでした。まだ、これから色々と整理をしてさらに出版されるということなので、結果が非常に楽しみです。
Winter博士はホントに親切で良い人で、帰りには僕ら全員に彼の著書とポスターをくれました。せっかくなので本にサインをとお願いしたら、快く皆にサインをしれくれました。最後は皆で写真を撮りお別れとなりました。

朝食に市場で食べたオアハカ風タマーレス、チョコラーテとパンのセット(すいません、食べ始めてから写真を撮りました...)。あまりの美味しさに食べ過ぎてしまった...袋に入っているのはカカオの実

夕飯に食べたオアハカ名物トラジューダ(Trayuda)。巨大なピザのような食べ物。僕はオアハカチーズとチョリソのトッピングを選びました。一人で完食
翌日は、DNAの専門家の人たちのために通訳をしていたボスの奥様とボス本人がサアチラという近くの町に住む人たちのDNAサンプルを採取に行くということで、僕が代わりに通訳の仕事もすることになりました。正直に言って、これまでまともに骨の勉強なんかしたことがない僕にとっては非常にしんどい仕事でした...。知らない単語が次から次へと...。
翌日は、お仕事は無く、初めてオアハカを訪れた二人の形質人類学の先生方のためにと有名なモンテ・アルバン遺跡見学に。約3時間ほど遺跡を見学した後は、オアハカ市内に戻り、博物館を駆け足で見て回り、ようやく帰途につくことが出来ました。


山の上にあるモンテ・アルバン遺跡 下段中央は有名な「踊る人々(ダンサンテDanzantes)」の彫刻
途中、2時間ほどボスと運転を代わり走ってきたのですが、なぜか、僕に運転を代わったとたん雨が降り始める始末...。最初にも書いたようにこの車の後輪はツルツル、道はメキシコにはよくあることで穴がポコポコ...。ホント怖かった。
実は、オアハカから帰途についた土曜日はトラスカラというところで友達の結婚式があり、僕は夜9時半頃近くのプエブラで下ろしてもらい、1時間ほどバスに乗りトラスカラへ(ちなみにこのバス、トラスカラへの最終便でした。ギリギリセーフ!)。
トラスカラに着くと既に夜11時を回っていたのですが、とりあえずターミナル前のタクシーの運転手に結婚式をしている場所への行き方を聞いてみると、僕が聞いた運転手はだいたいの場所は分かるが、その村に着いてから村人に聞いてみないと結婚式をしている場所に辿り着けないとのことでした...。
困った僕は、タクシーの運転手が仲間たちに細かい行き方を聞いている間にこれまで繋がらなかった友人の携帯電話(後で聞いた話では、結婚式をした場所があまりに田舎にあるために、携帯電話の電波が全く入らなかったそうです)に電話をかけてみることにしました。すると、すぐに友人が電話に出てくれて、ちょうど今結婚式のパーティーが終わりトラスカラの町に皆で帰るところだと教えてくれました。そこで、僕は皆が泊まっているホテルで待ち合わせをすることにして、タクシーには町中のホテルまで行ってもらうことにしました。
待つこと約1時間、ようやく久しぶりに会う指導教官の先生や友人たちがホテルに戻ってきました。幸いにも(?)その後、まだホテルで呑むということだったので、ビールの買い出しに行き、久しぶりに沢山の友人たちと楽しい時間を過ごすこともできました。もちろん、結婚した友人にお祝いを言うことも忘れませんでしたよ。だって、僕は一人だけ完全にしらふでしたから...。結局、この日僕がありつくことが出来たのは、コンビニで買ったサンドイッチとビール2本。皆は美味しい料理とお酒をたらふく飲み食いしたそうです...。
3時過ぎまで呑んでいたのですが、翌日曜日は指導教官の先生がメキシコシティまで車に乗せて行ってくれるということだったので、眠い目をこすり8時に起きて先生が泊まっているホテルへと向かいました。お昼過ぎまで先生のお買い物に付き合い、メキシコシティに着くと午後4時過ぎでした。
テオティワカンに向けてバスに乗ると、お仕事の仲間から何時にラボに帰ってくるのかと携帯にメッセージがあり、何事かと思えば、DNAの先生たちが日本に帰るのでお別れ会をすると。
というわけで、ラボに帰ると着々と飲み会の準備が進められていました。先生方はトルーカというところにサンプルを取りに行っているというので、しばらく時間があるだろうと思い家に帰って一休みしようとしたら、あと15分くらいでラボに着くと電話があり、結局家には帰らずじまい。ボスがオアハカで買ったメスカルが登場し、結局、2時くらいまで呑んでいたのだろうか...。
こうして、怒濤の1週間弱が終わったのですが、先週は疲れが取れぬまま1週間が過ぎました...。
昨日は、たまった洗濯物を洗濯し、家でのんびりと実家から送ってもらった日本のドラマのDVDを見ていると、プロジェクトのボスから電話が!
え、今度は何???と思って電話に出てみると、夜7時から大リーグのワールドシリーズがあるから近くのホテルのバーで呑みながら見ようというお誘いでした。
少し、ホッとして了解した旨を伝え電話を切りました。
今朝、9時に起きてパソコンをつけると、パソコンの時計が1時間遅れている。
???と思って少し考えると、そう、今日から冬時間に変わったのでした。1時間得したはずなのに、8時に起きてしまったことになり、少し損した気分です。もう少し寝てれば良かった...。
今日は、床屋に行って髪を切ろうと思っていたのですが、あまりに寒いのでまた今度にします。
次回からはもう少しマメに更新しなきゃな。
書くことが一杯で疲れたよ...。
しかも、このところ呑んだり食ったりした話ばかり...。
でもね、ゆっくりだけど博論も進めてるし、生活費を稼ぐ為にせっせと働いたりもしてるんですよ。ホントに。

太陽のピラミッドの前でピラミッドパワーを受ける人たち
僕にはいっこうにピラミッドパワーが降りてこない...。
前回、更新した後、お仕事の方は某洞窟の測量が終わり、太陽のピラミッドに開けられた発掘用のトンネルの測量に着手しました。
洞窟の中にて記念撮影(きっともう中に入ることは無いと思うので)
10月16日は夜10時頃、一緒に働いている仲間から携帯に「急用だからすぐにラボに来るように」とメッセージが入りました。
行ってみると予想通り飲み会をするということでした。飲み会の目的は一緒に働いている女性の誕生日だからとのこと。そういうことならと、早速ビールを買いにお店に走りました。平日ということもあり、僕らも翌日は7時半から仕事があるし、お仕事のボス、 DNAの分析の為に日本と中国から来てもらっている 形質人類学者の方々、そしてお誕生日を迎えた本人が翌日は朝4時起きでオアハカに資料のサンプリングに行くということで、早々(?)に1時頃切り上げました。
10月17日、いつもどおり5時45分に起き、シャワーを浴びて身支度を整えていると、6時半頃に既にオアハカに向けて出発しているはずのプロジェクトのボスから電話があり「10分でオアハカに行く支度をしてラボに来るように」????と言われ、分けも分からず3日分の着替えを鞄に積め、現場着から普段着に着替えラボに行ってみると、一人で運転するのは大変だし何かあるかもしれないから僕も一緒について行くようにとのことでした...。そんなことは、最初から分かっているんだからもっと早く言ってくれればいいのに...と思いながらも、そんなボスの行動に慣れっこになってしまっている僕は、10分後にはオアハカに向けて出発したワンボックスカーに乗っていたのでした。
オアハカまでの道のりで写した景色。500キロほどの行程なので周りの景色も少しずつ変わってきます
結局、行きは何事も無くボスが一人で運転して無事にオアハカに辿り着きました。
ホントは、朝ガソリンを入れた時に、車の後輪が2本ともかなりツルツルに磨り減っていることが判明したのですが、レンタカー屋が後に積んでいたという2本の新しいタイヤを邪魔だからラボに置いてきた(!)ということで、なす術も無くそのまま走ってきたのです...。
現地での仕事の詳細を聞かされず、運転のお手伝いということで急遽連れてこられた僕は、わけもわからず発掘された骨がおいてあるところへとりあえずついて行くことになりました。
昔の修道院の一部が研究所兼遺物倉庫になっていました
DNAのサンプル採取なんてよく分からない僕は、とりあえずサンプルとなる骨の写真をとってお手伝いをすることになりました。とはいえ、専門家の方達が出土した人骨を観察し、サンプルがとれそうな骨を選び出し、現地の人たちがその骨の記録をとったりするので、僕のお仕事はかなり暇なものでした。
幸い、この施設の責任者であるMarcus Winter博士が僕の専門がオルメカ文化であるということを聞いて、そこに保管されているオルメカ文化関係の土器を見せてくれました。この土器は、少し前に学術誌に掲載された論文で扱われた土器で、オルメカ文化の中心地から運ばれて来たであろうというものと、それらの土器を在地でまねて作ったと考えられる土器でした。Winter博士の説明を聞くと、たしかに博士の言うように運ばれてきたと考えられる土器は非常に精巧に作られており、在地で作られたと考えられる土器はやや稚拙な感じがするものでした。まだ、これから色々と整理をしてさらに出版されるということなので、結果が非常に楽しみです。
Winter博士はホントに親切で良い人で、帰りには僕ら全員に彼の著書とポスターをくれました。せっかくなので本にサインをとお願いしたら、快く皆にサインをしれくれました。最後は皆で写真を撮りお別れとなりました。
朝食に市場で食べたオアハカ風タマーレス、チョコラーテとパンのセット(すいません、食べ始めてから写真を撮りました...)。あまりの美味しさに食べ過ぎてしまった...袋に入っているのはカカオの実
夕飯に食べたオアハカ名物トラジューダ(Trayuda)。巨大なピザのような食べ物。僕はオアハカチーズとチョリソのトッピングを選びました。一人で完食
翌日は、DNAの専門家の人たちのために通訳をしていたボスの奥様とボス本人がサアチラという近くの町に住む人たちのDNAサンプルを採取に行くということで、僕が代わりに通訳の仕事もすることになりました。正直に言って、これまでまともに骨の勉強なんかしたことがない僕にとっては非常にしんどい仕事でした...。知らない単語が次から次へと...。
翌日は、お仕事は無く、初めてオアハカを訪れた二人の形質人類学の先生方のためにと有名なモンテ・アルバン遺跡見学に。約3時間ほど遺跡を見学した後は、オアハカ市内に戻り、博物館を駆け足で見て回り、ようやく帰途につくことが出来ました。
山の上にあるモンテ・アルバン遺跡 下段中央は有名な「踊る人々(ダンサンテDanzantes)」の彫刻
途中、2時間ほどボスと運転を代わり走ってきたのですが、なぜか、僕に運転を代わったとたん雨が降り始める始末...。最初にも書いたようにこの車の後輪はツルツル、道はメキシコにはよくあることで穴がポコポコ...。ホント怖かった。
実は、オアハカから帰途についた土曜日はトラスカラというところで友達の結婚式があり、僕は夜9時半頃近くのプエブラで下ろしてもらい、1時間ほどバスに乗りトラスカラへ(ちなみにこのバス、トラスカラへの最終便でした。ギリギリセーフ!)。
トラスカラに着くと既に夜11時を回っていたのですが、とりあえずターミナル前のタクシーの運転手に結婚式をしている場所への行き方を聞いてみると、僕が聞いた運転手はだいたいの場所は分かるが、その村に着いてから村人に聞いてみないと結婚式をしている場所に辿り着けないとのことでした...。
困った僕は、タクシーの運転手が仲間たちに細かい行き方を聞いている間にこれまで繋がらなかった友人の携帯電話(後で聞いた話では、結婚式をした場所があまりに田舎にあるために、携帯電話の電波が全く入らなかったそうです)に電話をかけてみることにしました。すると、すぐに友人が電話に出てくれて、ちょうど今結婚式のパーティーが終わりトラスカラの町に皆で帰るところだと教えてくれました。そこで、僕は皆が泊まっているホテルで待ち合わせをすることにして、タクシーには町中のホテルまで行ってもらうことにしました。
待つこと約1時間、ようやく久しぶりに会う指導教官の先生や友人たちがホテルに戻ってきました。幸いにも(?)その後、まだホテルで呑むということだったので、ビールの買い出しに行き、久しぶりに沢山の友人たちと楽しい時間を過ごすこともできました。もちろん、結婚した友人にお祝いを言うことも忘れませんでしたよ。だって、僕は一人だけ完全にしらふでしたから...。結局、この日僕がありつくことが出来たのは、コンビニで買ったサンドイッチとビール2本。皆は美味しい料理とお酒をたらふく飲み食いしたそうです...。
3時過ぎまで呑んでいたのですが、翌日曜日は指導教官の先生がメキシコシティまで車に乗せて行ってくれるということだったので、眠い目をこすり8時に起きて先生が泊まっているホテルへと向かいました。お昼過ぎまで先生のお買い物に付き合い、メキシコシティに着くと午後4時過ぎでした。
テオティワカンに向けてバスに乗ると、お仕事の仲間から何時にラボに帰ってくるのかと携帯にメッセージがあり、何事かと思えば、DNAの先生たちが日本に帰るのでお別れ会をすると。
というわけで、ラボに帰ると着々と飲み会の準備が進められていました。先生方はトルーカというところにサンプルを取りに行っているというので、しばらく時間があるだろうと思い家に帰って一休みしようとしたら、あと15分くらいでラボに着くと電話があり、結局家には帰らずじまい。ボスがオアハカで買ったメスカルが登場し、結局、2時くらいまで呑んでいたのだろうか...。
こうして、怒濤の1週間弱が終わったのですが、先週は疲れが取れぬまま1週間が過ぎました...。
昨日は、たまった洗濯物を洗濯し、家でのんびりと実家から送ってもらった日本のドラマのDVDを見ていると、プロジェクトのボスから電話が!
え、今度は何???と思って電話に出てみると、夜7時から大リーグのワールドシリーズがあるから近くのホテルのバーで呑みながら見ようというお誘いでした。
少し、ホッとして了解した旨を伝え電話を切りました。
今朝、9時に起きてパソコンをつけると、パソコンの時計が1時間遅れている。
???と思って少し考えると、そう、今日から冬時間に変わったのでした。1時間得したはずなのに、8時に起きてしまったことになり、少し損した気分です。もう少し寝てれば良かった...。
今日は、床屋に行って髪を切ろうと思っていたのですが、あまりに寒いのでまた今度にします。
次回からはもう少しマメに更新しなきゃな。
書くことが一杯で疲れたよ...。
しかも、このところ呑んだり食ったりした話ばかり...。
でもね、ゆっくりだけど博論も進めてるし、生活費を稼ぐ為にせっせと働いたりもしてるんですよ。ホントに。
太陽のピラミッドの前でピラミッドパワーを受ける人たち
僕にはいっこうにピラミッドパワーが降りてこない...。
気がつけば10月も半ばになってましたね。
このところ、色々とバタバタとしてしまい、更新を怠ってしまいました...。
仕事ではこの3週間ほど某有名な洞窟の測量に従事していました。毎日何度も何度も頭を岩にぶつけながらの作業でしたが、ようやく終わりそうです。もちろん、ヘルメット着用で作業しているので頭をぶつけても全く怪我はありませんが、変な姿勢で作業をしているので腰が痛くて痛くて、もう限界...。早く、内勤に戻して欲しい...。基本的に外仕事の方が好きなんだけど、それは発掘調査の場合。測量調査はもういいです...。
10月7日には近くの村の祭りに招待され羊の丸焼きを食べまくりました。2軒のお家を訪問したところで限界、もう食えん!って感じでした。8日,9日もお昼に招待され食べ続け。10日の夜はお仕事のボスのお供で在メキシコ日本大使館へ夕飯をごちそうになりに行き,また食べまくり...。
この大使館で呑んだテキーラが激旨でした!Don JulioのAñejo。普通のDon Julioの瓶とは異なり細長い瓶に入っていて、ラベルには1942と書いてあったかな。聞いたところすごく高いテキーラらしい。きっと、もう呑むことはないんだろうなあ...。
11日はラボでたこ焼き&お好み焼き大会。1kgの小麦粉でたこ焼きのたねを作り、それを全て焼き終えるまで約(焼く)4時間...。ひたすらたこ焼きを焼き右肩が...。まあ、みんな喜んでくれたので良かったけど、次回は誰か助けてほしい。
なんだか、先週1週間はとにかく食べ物にまつわるイベントが多い週でした。
今週はどんな週になるやら。
このところ、色々とバタバタとしてしまい、更新を怠ってしまいました...。
仕事ではこの3週間ほど某有名な洞窟の測量に従事していました。毎日何度も何度も頭を岩にぶつけながらの作業でしたが、ようやく終わりそうです。もちろん、ヘルメット着用で作業しているので頭をぶつけても全く怪我はありませんが、変な姿勢で作業をしているので腰が痛くて痛くて、もう限界...。早く、内勤に戻して欲しい...。基本的に外仕事の方が好きなんだけど、それは発掘調査の場合。測量調査はもういいです...。
10月7日には近くの村の祭りに招待され羊の丸焼きを食べまくりました。2軒のお家を訪問したところで限界、もう食えん!って感じでした。8日,9日もお昼に招待され食べ続け。10日の夜はお仕事のボスのお供で在メキシコ日本大使館へ夕飯をごちそうになりに行き,また食べまくり...。
この大使館で呑んだテキーラが激旨でした!Don JulioのAñejo。普通のDon Julioの瓶とは異なり細長い瓶に入っていて、ラベルには1942と書いてあったかな。聞いたところすごく高いテキーラらしい。きっと、もう呑むことはないんだろうなあ...。
11日はラボでたこ焼き&お好み焼き大会。1kgの小麦粉でたこ焼きのたねを作り、それを全て焼き終えるまで約(焼く)4時間...。ひたすらたこ焼きを焼き右肩が...。まあ、みんな喜んでくれたので良かったけど、次回は誰か助けてほしい。
なんだか、先週1週間はとにかく食べ物にまつわるイベントが多い週でした。
今週はどんな週になるやら。
先週は、木曜日と金曜日にこれまで一緒に働いていた3人の人たちのお別れ会がありました。
お別れ会とはいっても、みんな結構近くに住んでいるのでこれからもちょくちょくと会う機会はあるとは思うのですが、一応けじめというかそういう感じだったんだと思う。3人にはテオティワカン研究の大御所たちから感謝状が手渡されました。Dr. Millonはお御所たちの中では一番年上なんだと思うけど相変わらず元気で、握手が力強かった!
本当は金曜日にまとめて行われる予定だったようですが、一人が金曜日から長期の休暇に入るので木曜日にもふぃえすたが行われたのです。木曜日はピザとビールと少しのテキーラが振る舞われました。ま、少しとは言え、かなりの大人数(20人弱?)だったのでボトルが1本半空きましたが...。
金曜日は生憎の雨模様でしたが、メキシコシティからも大御所の先生方がやってきて最大で40人近く集まったようです。鶏肉のミシオーテがメインで一通りのふぃえすたメニュー(トラコーヨ、アロス、カルド・デ・ポージョ)が振る舞われました。その他にも当然の如く大量のアルコール(ビール、テキーラ、ロン,プルケなどなど)も用意されていました。最後は恒例のバイレ...。
僕自身、踊りは苦手です。きっと踊れたら楽しいのだろうといつも思い、何度も色々な人に教えてもらって挑戦するのですが、一向に上達しません...。いつか、ちゃんと踊れるようになるのだろうか...。
お別れ会とはいっても、みんな結構近くに住んでいるのでこれからもちょくちょくと会う機会はあるとは思うのですが、一応けじめというかそういう感じだったんだと思う。3人にはテオティワカン研究の大御所たちから感謝状が手渡されました。Dr. Millonはお御所たちの中では一番年上なんだと思うけど相変わらず元気で、握手が力強かった!
本当は金曜日にまとめて行われる予定だったようですが、一人が金曜日から長期の休暇に入るので木曜日にもふぃえすたが行われたのです。木曜日はピザとビールと少しのテキーラが振る舞われました。ま、少しとは言え、かなりの大人数(20人弱?)だったのでボトルが1本半空きましたが...。
金曜日は生憎の雨模様でしたが、メキシコシティからも大御所の先生方がやってきて最大で40人近く集まったようです。鶏肉のミシオーテがメインで一通りのふぃえすたメニュー(トラコーヨ、アロス、カルド・デ・ポージョ)が振る舞われました。その他にも当然の如く大量のアルコール(ビール、テキーラ、ロン,プルケなどなど)も用意されていました。最後は恒例のバイレ...。
僕自身、踊りは苦手です。きっと踊れたら楽しいのだろうといつも思い、何度も色々な人に教えてもらって挑戦するのですが、一向に上達しません...。いつか、ちゃんと踊れるようになるのだろうか...。
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1971/05/01
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