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オルメカ文化研究者の日誌
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ベラクルス大学で授業を教えるようになって、早くも1ヶ月が経ちました。
メキシコシティと大学のあるハラパへの行き来には長距離バスを使い、往復で9時間から10時間程かかります。火曜日の夜に着いて、水曜日に朝10時から午後4時までの6時間授業をしてその日の夜にメキシコシティに戻るというのは、週1日とはいえ、さすがにちょっとしんどい。でも、学生さん達もやる気があるし、こちらも頑張らないと。


(写真:いつも使う長距離バス)

僕が受け持っている授業は、発掘の方法と技術に関する演習で、学生さん達は今学期が終わった後、全員がどこかの発掘現場に行って実習を行なう事になっています。ですので、僕の役割は、彼らが現場に出た時に仕事を進めていく上で技術的にも方法論的にも困る事のないように、発掘に関する色々な技術や方法を理解してもらうという事になります。

最初の授業は、お互いの自己紹介をして、授業の進め方や内容、そして、学生さん達にとって最も関心のある評価の方法などを説明して、早めに授業を切り上げました。学生さん達は日本で言う所の3年生以上で、初めて発掘に参加しようとする人もいれば、既に何度も発掘の経験がある人もいて様々です。各人の考古学に対する興味もバラバラで、テーマとして一番多かったのは比較的新しい時代の考古学のようでした。残念ながら、24人中1人も僕が専門としているオルメカ文化に興味を持っている人はいませんでした...。



2回目の授業から、本格的に講義を始めました。まずはじめに、考古学の発掘は方法論や技術的には世界的に共通であるという事を知ってもらうために、そして、それらは唯一無二のものではないという事を知ってもらうために、僕がこれまでに経験してきた発掘を具体例としてみんなに見てもらいました。

幸いにも、僕自身、メキシコで考古学を始める前に、東京や沖縄、そして中国で調査に参加する機会があったので、それらの写真を元にみんなに紹介しました。次に、彼らが今後働いていくメキシコでの発掘についても、様々な場所によって、色々な特徴や共通する事がある事を、これも写真を使って説明しました。

これまでに、色々な経験がある人も、まったく初めての経験になる人も、多少なりとも発掘のバラエティや共通性を理解してもらえたら良いのですが、どうだったか...?

僕は発掘で大切なのは、「直感」と「想像力」だと思っています。そして、それらを得るために必要なのは発掘で現れる様々なものや現象を事細かに「観察」し、「解釈」する力だと思っています。また、作業を進めていく上で重要になってくるのは、「協調性」と「柔軟性」だと思っています。

もちろん、これらは簡単に身に付くものでも、生まれながらにして持っているものでもありません。現場での様々な経験、そして現場以外の場所での知識の収集がこれらを培ってくれるはずです。なので、僕の講義だけでこれらが身に付くわけではなく、今後の彼らの考古学への取り組みによって培われ成長していくんだと思います。僕の授業はそのきっかけ、始まりでしかないのです。その辺の所を彼らは分かってくれただろうか...。

3回目の講義は、発掘調査に出る前にやっておくべき事について説明しました。メキシコでも、発掘調査をする前には発掘計画書を国の機関に提出して、それが審査されて許可を得る事が出来ます。もちろん、審査されるという事は、必要な事柄が幾つかあり、なおかつ学術的な意義なども評価されるわけです。ですので、考古学的研究あるいは作業の一般的に行なわれている一通りの流れを説明した後は、具体的にこれらの発掘計画書について、みんなで議論し、発掘調査実施を認めてもらうにはどういう事が必要なのかという事を理解してもらおうと思いました。

僕は、最初の授業の時に試験は行わないという事を彼らに伝えました。その代わりに、学期末にはこの発掘計画書を彼らに書いてもらい、それを元に成績をつけるという事を説明しました。というのも、ここには発掘現場で実際に行なう事が記述されなければならず、その方法の正当性と学術的意義も明確にする必要があります。つまり、この「架空の発掘計画書」を書くには、発掘における様々な方法論や技術を理解している必要があるわけです。そして、メキシコで発掘を行なうにはメキシコの法律も理解する必要があり、それらを遵守しなければなりません。

たぶん、こういった内容の講義を6時間も聞くのはとても退屈でしんどいことだと思ったのですが、どうしても必要な事なので避けては通れません。考古学は学問で、宝探しではないという事を理解してもらう必要があるのです。

先週行なった4回目の授業では、実際に現場に出てから行なう作業の技術的な講義に入りました。発掘を始めるにあたって、まず最初に行なう発掘区の設定と言う作業です。慣れてしまえば、何という事のない作業なのですが、慣れるまではちょっと時間がかかる場合が多々あり、実際に現場に出た時に、この最初の段階でつまずく事の無いように、初めに教室内で一通りの作業の流れと、気をつける事などを説明し、その後は実際に屋外に出て発掘区の設定作業をやってもらうことにしました。

  

場所は大学内にある中庭のような場所で、比較的広いスペースが確保できる場所です。そこで4人一組のグループで作業してもらう事にしました。手始めに、1x1mの大きさの試掘坑を設定してもらいました。予想通り、初めはどのグループも手こずっていてなかなか設定する事が出来ませんでした。慣れてしまえば10分もかからないはずなのですが、30分以上、悪戦苦闘するグループもありました。それが終わると次は、2x2m。そして最後は1x3mの大きさの試掘坑を設定する作業をしてもらいました。基本的には三角比を使って設定すれば良いので、最初の1x1mが出来れば、あとはその応用なのですが慣れるまでは時間がかかるようです。

一通り、3パターンの大きさの設定が終わった後は、もう一度同じものを設定するという作業を繰り返してもらいました。結局、頭では分かっていても実際に体を動かして体で覚えるのが一番早く身に付くからです。実際に、一つ終わるたびに彼らのスピードも正確さもアップしているのを彼ら自身も気がついたようです。

  

実際に現場に出ると発掘区の設定を何の意味もなく適当にする事はありません。ですので、彼らにもそれぞれの場所でどうしてそこに発掘区を設定するのか、何のためにそこを発掘しようとしているのかということを答えてもらいました。色々と面白い考えも出てきて僕自身もとても楽しめました。

今週は、現場写真の撮り方を同じように、講義の後に外に出て行なう予定です。はたして、どうなるか。また、色々と面白い事を考えてくれると良いのですが...。
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色々と書きたい事がたまっているのですが、今日はとりあえずお知らせを2つだけ。

まずはじめに、10月9日(土)から東京池袋の古代オリエント博物館で『古代メキシコ・オルメカ文明展』が開催されます。
オルメカ文明に関するメキシコの数多くの国宝級考古遺物が展示されます。東京の近くにお住まいで、美術、古代文明、メキシコ、メソアメリカそして考古学に興味をお持ちの方は、この機会を逃さないように!オルメカ文明を代表する様々な大型石彫はめったに日本で展示される事はありません。


www.asahi.com/event/olmeca

それから、次のお知らせもオルメカ文明に関係するイベントなのですが、残念ながらメキシコでの催しです。メキシコにいらっしゃる方は是非のぞいてみて下さい。

オルメカ文明初期の古代遺跡サン・ロレンソで20年にわたって調査研究を続けている「サン・ロレンソ・テノチティトラン・プロジェクト」の20周年記念。そして、この調査を率いてきたアン・サイファース博士の業績に敬意を表するイベントが、10月11日(月)にハラパ人類学博物館で開催されます。メキシコをはじめ、アメリカ、イタリア、オーストラリアそして日本のオルメカ研究者が多数参加し、研究発表をします。

  
僕にとって8月はビザの更新など色々と書類手続きが目白押しの忙しい月なのです。

とりあえず、最重要課題のビザの更新を終えた8月中旬、ベラクルス州の州都ハラパにあるベラクルス大学人類学部から発掘の方法と技術に関する演習の非常勤講師の募集が出ました。締め切りまで約1週間と短い期間の中、多くの友人達の協力のおかげで、先週火曜日に締め切りギリギリで必要書類を提出する事ができました。

試験は翌々日の木曜日、審査官3人および、一般の聴衆(もちろん、学生や他の先生方)を前に授業プランについて発表するというもので、15分の発表の後に質疑応答という形式でした。ちなみに、応募したのは僕を含めて3人だけ。なんとか、発表と質疑応答を終え、結果は翌日金曜日に学内に張り出されるという事で、当初はメキシコシティに戻る予定だったのを、翌日まで滞在する事にしました。

この急遽決めた予定変更のおかげで、友人が働く人類学博物館で巨石人頭像の梱包および搬出作業というめったに見る事ができない作業を見学させてもらう事ができました。作業は僕らの試験が始まる前、午前11時頃から開始されたそうですが、僕が博物館に着いた午後1時ごろにはまだ巨石人頭像を移動させるための準備作業が行われている所でした。

 
(写真)

巨石人頭像が宙に浮いた瞬間は、さすがに見ている僕もなぜか緊張しました。しかも、移動はゆっくり、ゆっくりと人力で行なわれるんです。重量が4t以上ある巨石人頭像を人力で動かすとは思ってませんでした...。

 
(写真)

移動した巨石人頭像はケースの上に仰向けに寝かせられました。そして、普段は決して見る事ができない巨石人頭像の下部を初めてまじまじと見る事ができました。

 
(写真)

そして、巨石人頭像はミイラのように白い紙をグルグル巻きにされてしまいました。その後、しっかりと台座に固定され、木箱が完成されていきました。木箱の中を見ると、なんだかとても巨石人頭像が入っているようには見えません...。

    
(写真)

木箱が完成した後は、遂に搬送作業が始まります。これまた、木箱の下に台車をかませただけで人力で動かすという作業でした。ゆっくり、ゆっくりと木箱が展示室から搬出口にむけて移動されていきます。
展示室を出ると、展示室をつなぐ通路になっているのですが、そこには数段の階段が設置されており、そこにはスロープを作り、ジャッキのようなもので引き上げて移動させるという方法がとられました。

  
(写真)

この階段もまっすぐに設置されていればもっと簡単だったのでしょうが、微妙にずれるように設置されているので、1段通路を上がるたびに横に移動させ次の通路に向けたスロープをあげるという作業の繰り返しで、結局、展示会場から倉庫のある搬出口への出口についた段階で、すでに深夜1時半...。
さすがに、友人も僕も疲れ果ててしまい、その後は専門の人たちにお任せして博物館を後にしました。
かなりの長丁場で結構疲れましたが、本当にいい経験をする事が出来たと思います。

さて、そんな感じで疲れ果ててしまった僕は、もう一人の友人の家に戻り、とりあえず金曜日(既に同日の朝)発表される、試験結果を見に行くために朝まで一眠りする事にしました。たぶん、普通は緊張して寝れないのでしょうが、横になるなりあっという間に寝てしまい、ぐっすりと寝る事が出来ました。

金曜日の朝、家に泊めてもらった友人と一緒に大学に行き、結果が張り出される場所を見てみたのですが、さすがにメキシコ。予想通り、何も張ってあありません...。仕方ないので、しばらく待つ事にしました。

ようやく、お昼近くになって掲示板に結果が張り出され、一緒に試験を受けた友達と結果を見てみると、なんと、僕が試験を通っていることが書かれていました。つまり、合格です。初めて大学で授業をすることになったのです...。

なんだか、訳の分からないまま、とりあえず学部長の秘書の所に行って書類を受け取ってくるようにと言われ、言われるがままに書類を受け取りました。
で、次は何をしなければ行けないのかと思ったら、翌週月曜日の10時から学生向けの授業の説明会があるのでそこに出席してほしいとの事でした。僕も何か話すのかと聞いたら、「いや、学生に君の事を紹介するだけなので、いてくれるだけで良い」と言われ、果たして一度メキシコシティに戻るか、月曜日までハラパに滞在するか悩んだのですが、結局、提出しなければいけない書類の準備などもあり、一度戻る事に決めました。

「何も準備しなくても良い」とは言われたものの、ここはメキシコですから、急に変更されるかもしれません。そこで、とりあえず、試験の時に話した内容を少し修正して、急に何か話せと言われても何とかなるように、簡単な準備だけをして、書類手続きの準備もして、再び日曜日の深夜、ハラパに向けて出発しました。

早朝5時にハラパのバスターミになるに着き、しばらくはコーヒーを飲んだり、必要書類に情報を書き込んだりしながら時間を潰していました。でも、さすがに2時間も経つとやる事がなくなってしまい、仕方がないので少し早かったのですが8時半には大学に着いてしまいました。

しばらくすると、友人が来て、僕も教員のリストにサインをしなければいけないという事を教えてもらい、一緒に職員室のような所に行って、初めて教員リストにサインをしました。

次は、会場となる大きな教室に行き、準備のお手伝いをして説明会が始まるのを待つ事に。説明会では本当に僕は初めに学生さん達に紹介してもらっただけで、後は他の先生方の考古学実習に関する説明を聞くだけですみました。

説明会の後、学生さん達は各人が参加したい考古学実習を提出し、先生方がそれらを均等になるように割り振り、各人が受け持つ学生が決定しました。僕の授業に参加する学生は、結局25人という事になりました。

果たして、皆に興味を持ってもらえる授業ができるのかどうか...。
最初の授業は、翌々日の水曜日朝10時からでした。
今回はだいぶ長くなってしまったので、これについては、また日を改めて...。
先週の火曜日(8月3日)の深夜、 ベラクルス州南部のロス・ソルダードス遺跡の発掘調査から戻ってきました。

2年前に参加したアロージョ・ペスケーロ考古学プロジェクトの継続調査です。この時に表面採集をして大量の遺物が現在の村の地表面で見つかり、団長のカール・ウェント博士が2年間の準備期間を費やし、満を持しての調査でした。

 
(写真ロス・ソルダードス遺跡石彫1号と2号。石彫2号は最近京都で始まった『古代メキシコ・オルメカ文明展:マヤへの道』(京都の後は東京→北九州→名古屋→鹿児島と移動)という展覧会で実物が展示されています!ちなみに、これら2体の石彫、僕らが調査した遺跡から出土したのか、それともその近隣地域から出土したのかは現在調査中で不明...)

6月第1週目の週末に、ベラクルス州の州都ハラパに入り、そこで団長カールと副団長ロベルトと合流し、今回の調査に参加する3人の新しいArqueologaたちにも会い、翌朝、遺跡の近くにある町アグア・ドゥルセに向けて出発しました。


ほんとは、ここから一気に調査の内容や調査期間中にあった色々な事を書きたい所ですが、実は戻ってきてから疲れのせいか高熱に悩まされ、未だに本調子に戻っていないので、もう少し元気になってから続きを書こうと思います。きっと、調査も無事に終わり、家に戻ってきて気が抜けてしまったのでしょう...。

では、また。
4月24日、メキシコ州のマリナルコという場所にある博物館で行なわれた、書籍の出版披露講演会に行ってきました。

 

書籍はYoko Sugiura編著 "La gente de la ciénaga en tiempos antiguos: La historia de Santa Cruz Atizapán" 2009年、Universidad Nacional Autónoma de México y Colegio Mexiquense, A.C.。



書籍の紹介は、メキシコの著名な考古学者や杉浦先生のプロジェクトの協力者など総勢5名によって行なわれました。本の内容は杉浦先生が長年調査を率いてきたSanta Cruz Atizapánという遺跡から得られた様々な考古学的な知見が、多くの著者達によって示されているそうです。

会場は大勢の人たちが駆けつけ、立ち見が出るほどの盛況ぶりでした。

講演会の後は、杉浦先生の別荘に移動して盛大なパーティーが開催されました。たぶん、100人近くはいたのではないだろうか。



テーブルには沢山のドリンクと料理が並べられていた。料理の幾つかは、僕らが各自メキシコシティで用意して持ってきたものもある。ちなみに、僕は麻婆豆腐を準備してきたが、今回は不評だったようだ...結構、売れ残ってた...。

  

杉浦先生の別荘は本当に大きくて、野球場1つ分くらいはあるのではないだろうか。しかも、庭木や芝生、非常に手入れが行き届いている。流石である。家屋もアドベレンガ造りでとても大きく立派な建物である。一緒に行った、友達と僕らもいつかこんな所に住めるのかなあ?なんて言いながら見ていたのだが、まあ僕らには無理だろう、という結論に至った...。



たらふく飲み食いした僕らは、夕方になり、友人達の車に分乗しメキシコシティへと戻る事になった。
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