オルメカ文化研究者の日誌
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前回更新からまたしても一月経ってしまいました...。
その間も通常通り、博物館に通ってお仕事をしていたのですが、ちょこちょことイベントもあったので、日記風に近況報告。また、長くなりますのでお時間のある時にどうぞ。
9月13日
今、僕はベラクルスの現場で一緒に働いていたMaríaの実家で部屋を借りて住んでいるのですが、前日、ベラクルスの現場の後、パナマの現場に出ていたMaríaとVickyがハラパに戻って来た。当然、他の友人達を誘い軽く呑みにでかける。
9月14日
Robertoに誘われ、ハラパから約3時間ほどのコルドバという町に行く。その日は、Robertoの奥さんの誕生日をお祝いするフィエスタが行なわれました。今までにバスで旅行する際に、何度かこの町は通過した事はあったのですがバス停を出たのは初めてでした。フィエスタは2時頃からパラパラと人が集まり始め、メンバーが入れ替わりながら夜2時頃まで続きました。翌日はメキシコの独立記念日、他の友人達と約束があったので11時頃には友人の家を出てハラパに戻る。結局、今回もコルドバの町を散策する事無く、未だに記憶にあるのはバスターミナルとRobertoの家のみ...。
(写真:フィエスタにて)
9月15日
夕方ハラパの家に戻り、一休み。
この日はメキシコの独立記念日前夜、夜9時頃から友人が集まり始める。本当は町に出るつもりだったが、結局家で皆で呑む事になる。
テキーラやつまみを買い込み、ゆったりとした雰囲気で始まるが、終わってみるとやはり
こんな感じ↓。
(写真:フィエスタ終わってみれば...)
9月16日
友人達と4人で、Acatlanというところに出かける。4人とも強烈な二日酔い。くねくね曲がりくねる山道をおよそ1時間の道中、辿り着くまでに何度も吐き気が襲う...。Acatlanは山間部にある小さな村で、とても良いところだったのですが、とにかく強烈な二日酔いが継続...。次は、体調の良い時に来たいな...。
(写真:Acatlanの丘の上から)
9月19日
この日は、Felipeの卒論の最終試験があるのでお仕事をお休みしてメキシコシティへ。
試験は問題なく終わり、無事に学位が授与された。これで、彼も名実共に立派な考古学者の仲間入り。メキシコでは、学部の授業履修が終わってから卒論を提出するのですが、多くの人たちが、履修後数年経って学位を取ります。彼は一体何年かかったんだろう...。年齢は遥かに僕の上をいってます。まあ、何はともあれ無事に学位を取った彼の家で皆でお祝い。当然、テーブルの上には沢山のビールやテキーラが並び、皆で大騒ぎ。
(写真:試験の様子)
9月20日
この時期、メキシコシティの国立人類学博物館で年に一度のブックフェスティバルが行なわれる。沢山の出版社が集まり、定価の半額近くで本が販売されるので僕はいつもこの時期を楽しみにしてます。当然、今回の友人の最終試験でメキシコシティに来た事を利用しないはずも無く、午前中からブックフェスティバルに出かける。ここ数年、めぼしい本が無かったのですが、今回は色々と興味深い本があったり、博論の為にと色々な関連図書を大量に購入する。午後からは以前の職場テオティワカンのラボへ。
提出しなければいけなかった原稿の図版を無事に渡す。夜は当然呑み会。
9月21日
ハラパに戻る。
9月25日
数日前に指導教官の先生から同期の友人(彼の名前もFelipe)の最終試験があるとの事で、再びメキシコシティへ。今回は試験が午前9時からという事なので夜1時半にハラパを出る。朝6時半にメキシコシティのバスターミナルに着き、帰りの切符を買いそのまま大学へ向かう。大学に着くと8時で少し早かったので、朝食をとりながら友人達が到着するのを待つ事にする。しかし、8時半になっても誰も現れない。本人すら現れない...。不安になりながらも待っていると、指導教官の先生が到着、その後、他の友人や先生方が到着し、本人は10分前くらいになってようやく現れた。無事に試験は終わり友人は博士になった。同じ指導教官につく同期の中で一番乗りである。
これまでにも何人か僕と同じ指導教官についている友人達の最終試験があったのですが、これまでは皆、大学内で軽い食事をする程度で終わっていたので、今回もそうだろうと思っていたら、今回は場所を変えてフィエスタをするとの事。そうなると、帰りのバスには間に合わなくなってしまうので、バスのチケットを変更し、フィエスタへと向かう。当然、テキーラやワインなどが振る舞われ、皆で彼のお祝いをし、僕はほろ酔い加減で後ろ髪を引かれつつもハラパへの帰途につく...。
(写真:試験の様子)
9月26日
整理作業の為に博物館に行く。このところ、日本で12月出版の学会誌に投稿する為の原稿を今回の調査の団長達と書いていたのですが、ここへ来て団長から連絡があり、助成金を出してもらったナショナルジオグラフィックに出版許可を得る為の申請をするのを忘れていたというメールが届く...。仕方が無いので、今回の調査の原稿は来年にまわすことに。で、代わりに副団長Robertoの学生で今回のArroyo Pesqueroの調査にも参加したMaríaの卒論を元にMedias Aguas遺跡の埋葬に関する調査速報を3人で投稿する事になった。僕自身も2004年に参加した調査の資料をもとに書かれたものだし、内容はすでに出来上がっているものなので、なんとか締め切りまでの1週間で完成させられるだろうということになったのである。
10月3日
若干締め切りを過ぎてしまったが、なんとか原稿を完成させ日本語に翻訳し日本にメールで送る。
前日はRobertoの誕生日だったので、友人達とお祝いをすることに。本人はただ呑みに行くつもりのようだったが、皆でケーキを買いMaríaの家で彼が来るのを待つ事になった。バーに直行するつもりだった彼は、訳も分からず突然Maríaの家に呼び出され、そこに集まった皆(12、3人居たかな?)からケーキと歌でお祝いされビックリしたようだったがとても喜んでくれた。ケーキの後は、予定通りバーに移動しビールでお祝い。そして、締めは当然タコス。
(写真:飲み屋での様子)
10月4日
この日は、ハラパから少し離れたところにあるランチョ・ビエホという所に住んでいるPamelaの家でフィエスタ。夕方6時集合のはずが結局全員が集まったのは9時過ぎ...。それから彼女の家に皆で車で移動。途中、ピザやつまみのスナック菓子、それからウイスキーとウォッカを買い込む。ピザやサラダを準備しながら呑み始める。僕は空腹に我慢できず、一足お先に温めなおしたピザをつまみ食い。
(写真:皆でピザとサラダを肴に呑み始める)
最初は、写真のように部屋の中で穏やかに呑んでいたのですが、ピザが無くなった頃から皆でデラスに出始める。
(写真:テラスにて記念撮影)
そして終わる頃には...
(写真:終わり間近)
前日は夜着いて、周りが真っ暗だったので気がつきませんでしたが、夜が開けてみるととても景色の良い場所だったことが分かりました。
(写真:翌朝のテラスからの景色)
10月5日
翌日、Saraíが仕事を求めてゲレロ州に出発するという事で、再びMaríaの家に友人達が集まる。さすがに、前日たらふく呑んだので、この日はジュースとお菓子のみ、のはずだったのですが、終わってみればワインが1本空いてました...。まあ、6人でワイン1本で済んだ事の方が奇跡的か。
10月6日
週末、Tuxpanというところで3週間働いていたErickaとPaulinaが帰って来たという事で、MaríaとVickyと共にErickaの所に遊びに行く。コーヒーを飲みながら、色々と向こうの現場の話を聞く。この日は珍しくアルコール抜き!
10月12日
この日は、居候先のMaríaが仕事を求めてオアハカ州に出発するので、午前中に友人達で集まって朝食を食べる。2ヶ月ほど向こうで仕事をするらしい。こっちでは、僕の友人達は頻繁に仕事を求めて自宅を離れメキシコ国内の至る所に出かけていく。Maríaもこれまでも、色々な所に仕事をしに出かけているが、いつも誰か友達と一緒だったらしく、今回は初めて一人で知らない所に仕事に行くらしい。まあ、考古学の仕事はどこに行っても基本は同じだからきっと何とかなるんだろう。
なんだか、今回も呑み会日記みたいになってしまいました...。でも、この間も、ちゃんと整理作業はしてましたよ。それに、ちゃんと小さな論文も提出したしね。
次回はこんなに長くならないように、もう少し頻繁に更新しないと...。
その間も通常通り、博物館に通ってお仕事をしていたのですが、ちょこちょことイベントもあったので、日記風に近況報告。また、長くなりますのでお時間のある時にどうぞ。
9月13日
今、僕はベラクルスの現場で一緒に働いていたMaríaの実家で部屋を借りて住んでいるのですが、前日、ベラクルスの現場の後、パナマの現場に出ていたMaríaとVickyがハラパに戻って来た。当然、他の友人達を誘い軽く呑みにでかける。
9月14日
Robertoに誘われ、ハラパから約3時間ほどのコルドバという町に行く。その日は、Robertoの奥さんの誕生日をお祝いするフィエスタが行なわれました。今までにバスで旅行する際に、何度かこの町は通過した事はあったのですがバス停を出たのは初めてでした。フィエスタは2時頃からパラパラと人が集まり始め、メンバーが入れ替わりながら夜2時頃まで続きました。翌日はメキシコの独立記念日、他の友人達と約束があったので11時頃には友人の家を出てハラパに戻る。結局、今回もコルドバの町を散策する事無く、未だに記憶にあるのはバスターミナルとRobertoの家のみ...。
(写真:フィエスタにて)
9月15日
夕方ハラパの家に戻り、一休み。
この日はメキシコの独立記念日前夜、夜9時頃から友人が集まり始める。本当は町に出るつもりだったが、結局家で皆で呑む事になる。
テキーラやつまみを買い込み、ゆったりとした雰囲気で始まるが、終わってみるとやはり
こんな感じ↓。
(写真:フィエスタ終わってみれば...)
9月16日
友人達と4人で、Acatlanというところに出かける。4人とも強烈な二日酔い。くねくね曲がりくねる山道をおよそ1時間の道中、辿り着くまでに何度も吐き気が襲う...。Acatlanは山間部にある小さな村で、とても良いところだったのですが、とにかく強烈な二日酔いが継続...。次は、体調の良い時に来たいな...。
(写真:Acatlanの丘の上から)
9月19日
この日は、Felipeの卒論の最終試験があるのでお仕事をお休みしてメキシコシティへ。
試験は問題なく終わり、無事に学位が授与された。これで、彼も名実共に立派な考古学者の仲間入り。メキシコでは、学部の授業履修が終わってから卒論を提出するのですが、多くの人たちが、履修後数年経って学位を取ります。彼は一体何年かかったんだろう...。年齢は遥かに僕の上をいってます。まあ、何はともあれ無事に学位を取った彼の家で皆でお祝い。当然、テーブルの上には沢山のビールやテキーラが並び、皆で大騒ぎ。
(写真:試験の様子)
9月20日
この時期、メキシコシティの国立人類学博物館で年に一度のブックフェスティバルが行なわれる。沢山の出版社が集まり、定価の半額近くで本が販売されるので僕はいつもこの時期を楽しみにしてます。当然、今回の友人の最終試験でメキシコシティに来た事を利用しないはずも無く、午前中からブックフェスティバルに出かける。ここ数年、めぼしい本が無かったのですが、今回は色々と興味深い本があったり、博論の為にと色々な関連図書を大量に購入する。午後からは以前の職場テオティワカンのラボへ。
提出しなければいけなかった原稿の図版を無事に渡す。夜は当然呑み会。
9月21日
ハラパに戻る。
9月25日
数日前に指導教官の先生から同期の友人(彼の名前もFelipe)の最終試験があるとの事で、再びメキシコシティへ。今回は試験が午前9時からという事なので夜1時半にハラパを出る。朝6時半にメキシコシティのバスターミナルに着き、帰りの切符を買いそのまま大学へ向かう。大学に着くと8時で少し早かったので、朝食をとりながら友人達が到着するのを待つ事にする。しかし、8時半になっても誰も現れない。本人すら現れない...。不安になりながらも待っていると、指導教官の先生が到着、その後、他の友人や先生方が到着し、本人は10分前くらいになってようやく現れた。無事に試験は終わり友人は博士になった。同じ指導教官につく同期の中で一番乗りである。
これまでにも何人か僕と同じ指導教官についている友人達の最終試験があったのですが、これまでは皆、大学内で軽い食事をする程度で終わっていたので、今回もそうだろうと思っていたら、今回は場所を変えてフィエスタをするとの事。そうなると、帰りのバスには間に合わなくなってしまうので、バスのチケットを変更し、フィエスタへと向かう。当然、テキーラやワインなどが振る舞われ、皆で彼のお祝いをし、僕はほろ酔い加減で後ろ髪を引かれつつもハラパへの帰途につく...。
(写真:試験の様子)
9月26日
整理作業の為に博物館に行く。このところ、日本で12月出版の学会誌に投稿する為の原稿を今回の調査の団長達と書いていたのですが、ここへ来て団長から連絡があり、助成金を出してもらったナショナルジオグラフィックに出版許可を得る為の申請をするのを忘れていたというメールが届く...。仕方が無いので、今回の調査の原稿は来年にまわすことに。で、代わりに副団長Robertoの学生で今回のArroyo Pesqueroの調査にも参加したMaríaの卒論を元にMedias Aguas遺跡の埋葬に関する調査速報を3人で投稿する事になった。僕自身も2004年に参加した調査の資料をもとに書かれたものだし、内容はすでに出来上がっているものなので、なんとか締め切りまでの1週間で完成させられるだろうということになったのである。
10月3日
若干締め切りを過ぎてしまったが、なんとか原稿を完成させ日本語に翻訳し日本にメールで送る。
前日はRobertoの誕生日だったので、友人達とお祝いをすることに。本人はただ呑みに行くつもりのようだったが、皆でケーキを買いMaríaの家で彼が来るのを待つ事になった。バーに直行するつもりだった彼は、訳も分からず突然Maríaの家に呼び出され、そこに集まった皆(12、3人居たかな?)からケーキと歌でお祝いされビックリしたようだったがとても喜んでくれた。ケーキの後は、予定通りバーに移動しビールでお祝い。そして、締めは当然タコス。
(写真:飲み屋での様子)
10月4日
この日は、ハラパから少し離れたところにあるランチョ・ビエホという所に住んでいるPamelaの家でフィエスタ。夕方6時集合のはずが結局全員が集まったのは9時過ぎ...。それから彼女の家に皆で車で移動。途中、ピザやつまみのスナック菓子、それからウイスキーとウォッカを買い込む。ピザやサラダを準備しながら呑み始める。僕は空腹に我慢できず、一足お先に温めなおしたピザをつまみ食い。
(写真:皆でピザとサラダを肴に呑み始める)
最初は、写真のように部屋の中で穏やかに呑んでいたのですが、ピザが無くなった頃から皆でデラスに出始める。
(写真:テラスにて記念撮影)
そして終わる頃には...
(写真:終わり間近)
前日は夜着いて、周りが真っ暗だったので気がつきませんでしたが、夜が開けてみるととても景色の良い場所だったことが分かりました。
(写真:翌朝のテラスからの景色)
10月5日
翌日、Saraíが仕事を求めてゲレロ州に出発するという事で、再びMaríaの家に友人達が集まる。さすがに、前日たらふく呑んだので、この日はジュースとお菓子のみ、のはずだったのですが、終わってみればワインが1本空いてました...。まあ、6人でワイン1本で済んだ事の方が奇跡的か。
10月6日
週末、Tuxpanというところで3週間働いていたErickaとPaulinaが帰って来たという事で、MaríaとVickyと共にErickaの所に遊びに行く。コーヒーを飲みながら、色々と向こうの現場の話を聞く。この日は珍しくアルコール抜き!
10月12日
この日は、居候先のMaríaが仕事を求めてオアハカ州に出発するので、午前中に友人達で集まって朝食を食べる。2ヶ月ほど向こうで仕事をするらしい。こっちでは、僕の友人達は頻繁に仕事を求めて自宅を離れメキシコ国内の至る所に出かけていく。Maríaもこれまでも、色々な所に仕事をしに出かけているが、いつも誰か友達と一緒だったらしく、今回は初めて一人で知らない所に仕事に行くらしい。まあ、考古学の仕事はどこに行っても基本は同じだからきっと何とかなるんだろう。
なんだか、今回も呑み会日記みたいになってしまいました...。でも、この間も、ちゃんと整理作業はしてましたよ。それに、ちゃんと小さな論文も提出したしね。
次回はこんなに長くならないように、もう少し頻繁に更新しないと...。
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Re:無題
puercoさん、お久しぶり!
あるよ。たまには...。今は酔っぱらってないし...。
僕も来月の前半にはテオに戻る予定です。
あるよ。たまには...。今は酔っぱらってないし...。
僕も来月の前半にはテオに戻る予定です。
Re:無題
hiroさん、コメントありがとうございます。
お酒、宜しくお願いしまーす!
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