オルメカ文化研究者の日誌
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先日ブログに書いたアロージョ・ペスケーロケーロ遺跡の整理作業を7月末から、ベラクルス州の州都ハラパにある博物館で続けてます。
博物館では、大学院での同期であり、今回のプロジェクトの副団長でもある友人の部屋の一角を間借りして作業してます。遺物量は先日も書いたようにたいした数ではないのですが、僕一人で全てやらなければなりません...。

[写真]ベラクルス大学付属人類学博物館(通称MAX)
とりあえず、手始めに遺物を種類毎あるいは採集した日付毎に段ボール箱に仕分けする作業から始めました。
次は汚れたままの遺物では分析が難しいので、表面についている泥落し作業です。石器は歯ブラシと水で綺麗に泥を洗い流し、土器片は水で洗うと溶けてしまうものが多いので、ブラシとヘラを使って泥を剥がすことに。石器は、採集した量が少なかったのですぐに終わりました。ここまでで、ちょうど1週間。
その後、博物館が2週間の夏休みに入ってしまい、その期間を利用してメキシコシティに戻り、メキシコ滞在のためのビザの更新をしてきました。順調に手続きが進み、10日ほどで新しいビザがもらえました。ついでというのも変な話ですが、せっかくメキシコシティに戻ったので、博論の指導教官の先生と論文についても話をしてきました。今年こそは、なんとか叩き台となる下書きを終わらせないと!
再びハラパに戻り、次は段ボール箱約4箱分の土器の泥落し作業。
これが、結構しっかりと泥がこびりついていて落とすのに一苦労でした...。結局、1週間半ほど毎日毎日泥落し作業を続ける事に...。

[写真]泥落し作業中の土器片
なんとか、遺物を綺麗にする作業が終わり、その後は本来ならば時期や型式毎に分類する作業に入りたかったのですが、様々な理由からとりあえずは石器などの数が少ない遺物の写真撮影を先に進める事になりました。
まずは、唯一採集する事ができた土偶のかけら。残念ながら下半身だけしか見つからず、時期決定をするのに大切な顔の部分がなかったので時期ははっきりしません。
次は、メソアメリカでは「緑色の石」とまとめて呼ばれる、ヒスイや蛇紋岩製の遺物。今回は、磨製石斧の完形1点と破片1点、それからおそらく原材料として持ち込まれたと考えられる原石1点の合計3点の遺物が採集されました。
続いて、黒曜石やチャートなどで作られた石器。殆どはこれらの石材を使って石器を作った時にできた石屑と考えられる小さな破片でしたが、プリズマティック・ブレードと呼ばれる5点の製品が含まれていました。
そして、最後は玄武岩などの岩石で製作された石器。殆ど全ての石器が破片だったので元はどんな遺物だったのかよく分からないものもありましたが、その殆どはメタテと呼ばれる石臼のようなものとマノと呼ばれるすり棒だと考えられます。ただ、1点だけ磨製石斧が含まれていました。
とりあえず、土器以外の写真は先週中頃には終わったので、今は、写真を撮った遺物の実測図を描いてます。慣れない点描画も描いているので少々時間はかかってますが、まあ頑張れば2週間くらいで終わるかな...。それが、終われば後は大量にある土器片に手をつけないと...。ホントに10月半ば頃には終わるのだろうか...。
博物館では、大学院での同期であり、今回のプロジェクトの副団長でもある友人の部屋の一角を間借りして作業してます。遺物量は先日も書いたようにたいした数ではないのですが、僕一人で全てやらなければなりません...。
[写真]ベラクルス大学付属人類学博物館(通称MAX)
とりあえず、手始めに遺物を種類毎あるいは採集した日付毎に段ボール箱に仕分けする作業から始めました。
次は汚れたままの遺物では分析が難しいので、表面についている泥落し作業です。石器は歯ブラシと水で綺麗に泥を洗い流し、土器片は水で洗うと溶けてしまうものが多いので、ブラシとヘラを使って泥を剥がすことに。石器は、採集した量が少なかったのですぐに終わりました。ここまでで、ちょうど1週間。
その後、博物館が2週間の夏休みに入ってしまい、その期間を利用してメキシコシティに戻り、メキシコ滞在のためのビザの更新をしてきました。順調に手続きが進み、10日ほどで新しいビザがもらえました。ついでというのも変な話ですが、せっかくメキシコシティに戻ったので、博論の指導教官の先生と論文についても話をしてきました。今年こそは、なんとか叩き台となる下書きを終わらせないと!
再びハラパに戻り、次は段ボール箱約4箱分の土器の泥落し作業。
これが、結構しっかりと泥がこびりついていて落とすのに一苦労でした...。結局、1週間半ほど毎日毎日泥落し作業を続ける事に...。
[写真]泥落し作業中の土器片
なんとか、遺物を綺麗にする作業が終わり、その後は本来ならば時期や型式毎に分類する作業に入りたかったのですが、様々な理由からとりあえずは石器などの数が少ない遺物の写真撮影を先に進める事になりました。
まずは、唯一採集する事ができた土偶のかけら。残念ながら下半身だけしか見つからず、時期決定をするのに大切な顔の部分がなかったので時期ははっきりしません。
次は、メソアメリカでは「緑色の石」とまとめて呼ばれる、ヒスイや蛇紋岩製の遺物。今回は、磨製石斧の完形1点と破片1点、それからおそらく原材料として持ち込まれたと考えられる原石1点の合計3点の遺物が採集されました。
続いて、黒曜石やチャートなどで作られた石器。殆どはこれらの石材を使って石器を作った時にできた石屑と考えられる小さな破片でしたが、プリズマティック・ブレードと呼ばれる5点の製品が含まれていました。
そして、最後は玄武岩などの岩石で製作された石器。殆ど全ての石器が破片だったので元はどんな遺物だったのかよく分からないものもありましたが、その殆どはメタテと呼ばれる石臼のようなものとマノと呼ばれるすり棒だと考えられます。ただ、1点だけ磨製石斧が含まれていました。
とりあえず、土器以外の写真は先週中頃には終わったので、今は、写真を撮った遺物の実測図を描いてます。慣れない点描画も描いているので少々時間はかかってますが、まあ頑張れば2週間くらいで終わるかな...。それが、終われば後は大量にある土器片に手をつけないと...。ホントに10月半ば頃には終わるのだろうか...。
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日本に戻ったのは4月後半、メキシコに帰ってきたのは5月末、気がつけば8月後半...。ずいぶんと更新をさぼってしまったので、今回も少し長めの文章になってます。かなり、かいつまんで書いたつもりなのですが...。時間のない方は時間のある時にゆっくりと読んでいただければありがたいです...。
日本にいる間は、発掘現場で1作業員として働き、時間があれば友人と呑みに出かけるという日々を繰り返した。まあ、これは予定通りで、期待以上に多くの友人達に会うことが出来た。高校時代の友人達、大学の先生方、先輩、同期、後輩達、そして以前のアルバイト先での仲間達。皆さん、ホントに忙しい中、時間を作っていただきありがとうございました。また、幸いにも数年ぶりに日本考古学協会にも行くことができたし、更にラッキーなことに今回の会場近くは温泉街で、久々の温泉にもゆっくりとつかることができた。

温泉入り口
メキシコに戻ってからは、テオティワカンに若干残してあった荷物を整理し、そのまま荷造りをしてベラクルス州の現場へ!
今回の現場は僕が専門としているオルメカ文化研究では比較的有名なアロージョ・ペスケーロ(Arroyo Pesquero)遺跡。40年近く前に大量の仮面や石斧などのヒスイ製品が発見された場所です。遺跡は名前の通り小川(Arroyo)に面していて、周辺は完全なる湿地帯。今回の調査の目的は、40年前に発見されたヒスイ製品を残した人々の居住の跡を見つけ、オルメカ人達がどんな生活をしていたのかを探ることでした。

地図
参加者はメキシコ人3人、アメリカ人5人そして僕という9人の学生に調査団長であるアメリカ人とメキシコ人。さらに、現地の作業員さんが9人という体制でした。ボスの2人は現場の仕事以外にも色々な雑務があり、アメリカ人の5人はあまり調査の経験が無いということで、一番経験がある僕が現場をまとめるという役割りが与えられました。

調査メンバー(毎朝30分かけてこのボートで発掘現場へ)
結論から言うと、今回の調査は大ハズレ...。
調査範囲内からは殆ど遺物が出土しませんでした。最終的には、合計100カ所でボーリング調査を行い、6カ所で試掘坑を開けて発掘したのですが、唯一調査範囲内から見つかった遺物は、後に地主とモメてしまた場所でのボーリング調査で見つかった土器片1点、それから、最終日にメキシコ人の調査団長が川に潜って採集した土器片3点。ここまで、大ハズレした調査は日本でアルバイトしていた時の試掘以来です。
メキシコでは通常、調査の第一段階として遺跡や遺物の分布調査というものが行われます。これは、現地表面の観察から地上に残っているマウンド(遺構と呼ばれる昔の人が遺した建造物が埋まった丘のようなもの)や土器のかけらなどの考古遺物と呼ばれるものを探して、遺跡の位置を確認し、必要があればその遺跡の地図を作る調査です。今回の遺跡は、前回の調査期間中に分布調査が終了していて、現地表面にはマウンドが残っていなかったので、発掘する場所を決定するためのボーリング調査をする場所を探すための簡単な分布調査から始まりました。
しかし、いざ色々なところを歩き回ってみても、予定していた調査範囲内(およそ3X4km)では遺物が地表面で観察できない...。しかも、調査予定地のほとんどは湿地帯...っていうか、水浸し....。ある程度の水は予測していたものの、ここまでとは...。浅いところでもくるぶしまでは余裕で浸かってしまい、深いところはとても歩ける状態じゃない...。僕が経験した一番深いところは太ももが全て水に浸かってしまうくらいの深さです。作業員さんの一人は、胸の辺りまで水に浸かってしまいました....。結局、色々と歩き回った結果、ボーリング調査や発掘調査が可能な場所は、川沿いに残された帯状に若干地面が高くなり水に浸かっていない場所と小川の中にある小さな島(中州?)ぐらいでした。

湿地帯の中へ...って言うか、水の中へ...(草の見えるところは全て水浸し...)
というわけで、調査は40年前の発見現場の近くでボーリング調査をすることに。実際に、足を踏み入れてみるとそこは沢山の樹々に覆われていてまるでジャングル、そして至る所に盗掘の跡が残っていました。アメリカ人の学生さん達はこのようなボーリング調査の経験が無いということで、初めは2つのグループに分けメキシコ人で経験がある学生をそれぞれにつけて、だいたいの作業の流れを覚えてもらうことにしました。同時に、おおまかな地層の特徴を見るという目的もあり、可能なかぎり深い地層の土を採るようにしました。

最初の調査地点へ
周囲には沢山の盗掘坑があるくらいなので、何か見つかるだろうと予測して始めたのですが、いくら掘れども掘れどもボーリングで引き上げられる土の中には全く考古遺物が見つかりませんでした...。結局、直径10センチほどの穴の中に水が湧き始め、地層も砂の層に変わってしまいボーリングで引き上げることができなくなり、その場所でのボーリング調査は終了しました...。

盗掘坑の一つ
その後は、調査範囲内を色々と歩き回ったり、ボーリング調査が可能そうなところはボーリング調査を行い、なんとか発掘するべき場所をみつけようとしたのですが、結局は調査範囲内では考古遺物を見つけることができませんでした...。しかし、発掘に来ているのですから何処か発掘しないと。という訳で、ボーリング調査で比較的多く炭化物(昔の植物が炭のようになったのもで、人間の生活に関係する比較的可能性が高い)や焼けた粘土の塊が見つかった場所や、40年前のヒスイ製品の発見地点の近くにテストピットと呼ばれる試掘坑を開けることにしました。とりあえず、2x2メートルと1x1メートルの広さで2カ所の発掘を開始しました。

ボーリング調査風景

試掘坑での発掘風景
しかし、予想通りというか残念ながら、試掘坑からは1点の考古遺物も見つかりません。挙句の果てには、試掘坑内に水が湧いて来て通常の発掘のようにはいかなくなってきました。仕方が無いので大きい方の試掘坑も1x1メートルに縮小し、可能なかぎり下まで下げるということで作業を続けてもらいました。しかし、掘れども掘れども、出てくるのは泥と水ばかり。結局、何も見つからないまま。最終的には最初にも書いたように6カ所で試掘坑を開けたのですが、試掘坑からは考古遺物は何も見つかりませんでした。

水浸しの試掘坑...
そんな訳で、当初の予定では8月半ばまでの調査の予定だったのですが、考古遺物が見つからないことと、アメリカ人の学生さんが体調を崩して入院したということも重なり、7月後半に調査は終了になってしまいました。大急ぎで、宿泊所を片付け、アメリカ人の学生さんと団長さんの家族はアメリカに向けて出発し、僕らはベラクルス州の州都ハラパに向けて出発することになりました。今後は僕だけが整理作業のために雇ってもらえたので、僕はハラパに滞在して今回の調査の整理作業をすることになってます。発掘は大ハズレで殆ど出土遺物は無いのですが、1週間ほど周辺の遺跡の分布調査も行い、そこではある程度の量の考古遺物を採集することができたので、整理作業を必要とする考古遺物は段ボール箱5箱分くらいはあります。3人のメキシコ人の学生さん達は、それぞれ次の仕事を求めて2人は一ヶ月間の調査でパナマ共和国へ出発し、1人は9月から年末までメキシコの反対側にあるゲレロ州の海岸地帯で調査に行くことになってます。
整理作業については、また機会をあらためて報告していきますが、僕は元気にやってます。

おまけ(調査地点の裏で見つけたワニの巣...中には卵があるらしい)

日本にいる間は、発掘現場で1作業員として働き、時間があれば友人と呑みに出かけるという日々を繰り返した。まあ、これは予定通りで、期待以上に多くの友人達に会うことが出来た。高校時代の友人達、大学の先生方、先輩、同期、後輩達、そして以前のアルバイト先での仲間達。皆さん、ホントに忙しい中、時間を作っていただきありがとうございました。また、幸いにも数年ぶりに日本考古学協会にも行くことができたし、更にラッキーなことに今回の会場近くは温泉街で、久々の温泉にもゆっくりとつかることができた。
温泉入り口
メキシコに戻ってからは、テオティワカンに若干残してあった荷物を整理し、そのまま荷造りをしてベラクルス州の現場へ!
今回の現場は僕が専門としているオルメカ文化研究では比較的有名なアロージョ・ペスケーロ(Arroyo Pesquero)遺跡。40年近く前に大量の仮面や石斧などのヒスイ製品が発見された場所です。遺跡は名前の通り小川(Arroyo)に面していて、周辺は完全なる湿地帯。今回の調査の目的は、40年前に発見されたヒスイ製品を残した人々の居住の跡を見つけ、オルメカ人達がどんな生活をしていたのかを探ることでした。
地図
参加者はメキシコ人3人、アメリカ人5人そして僕という9人の学生に調査団長であるアメリカ人とメキシコ人。さらに、現地の作業員さんが9人という体制でした。ボスの2人は現場の仕事以外にも色々な雑務があり、アメリカ人の5人はあまり調査の経験が無いということで、一番経験がある僕が現場をまとめるという役割りが与えられました。
調査メンバー(毎朝30分かけてこのボートで発掘現場へ)
結論から言うと、今回の調査は大ハズレ...。
調査範囲内からは殆ど遺物が出土しませんでした。最終的には、合計100カ所でボーリング調査を行い、6カ所で試掘坑を開けて発掘したのですが、唯一調査範囲内から見つかった遺物は、後に地主とモメてしまた場所でのボーリング調査で見つかった土器片1点、それから、最終日にメキシコ人の調査団長が川に潜って採集した土器片3点。ここまで、大ハズレした調査は日本でアルバイトしていた時の試掘以来です。
メキシコでは通常、調査の第一段階として遺跡や遺物の分布調査というものが行われます。これは、現地表面の観察から地上に残っているマウンド(遺構と呼ばれる昔の人が遺した建造物が埋まった丘のようなもの)や土器のかけらなどの考古遺物と呼ばれるものを探して、遺跡の位置を確認し、必要があればその遺跡の地図を作る調査です。今回の遺跡は、前回の調査期間中に分布調査が終了していて、現地表面にはマウンドが残っていなかったので、発掘する場所を決定するためのボーリング調査をする場所を探すための簡単な分布調査から始まりました。
しかし、いざ色々なところを歩き回ってみても、予定していた調査範囲内(およそ3X4km)では遺物が地表面で観察できない...。しかも、調査予定地のほとんどは湿地帯...っていうか、水浸し....。ある程度の水は予測していたものの、ここまでとは...。浅いところでもくるぶしまでは余裕で浸かってしまい、深いところはとても歩ける状態じゃない...。僕が経験した一番深いところは太ももが全て水に浸かってしまうくらいの深さです。作業員さんの一人は、胸の辺りまで水に浸かってしまいました....。結局、色々と歩き回った結果、ボーリング調査や発掘調査が可能な場所は、川沿いに残された帯状に若干地面が高くなり水に浸かっていない場所と小川の中にある小さな島(中州?)ぐらいでした。
湿地帯の中へ...って言うか、水の中へ...(草の見えるところは全て水浸し...)
というわけで、調査は40年前の発見現場の近くでボーリング調査をすることに。実際に、足を踏み入れてみるとそこは沢山の樹々に覆われていてまるでジャングル、そして至る所に盗掘の跡が残っていました。アメリカ人の学生さん達はこのようなボーリング調査の経験が無いということで、初めは2つのグループに分けメキシコ人で経験がある学生をそれぞれにつけて、だいたいの作業の流れを覚えてもらうことにしました。同時に、おおまかな地層の特徴を見るという目的もあり、可能なかぎり深い地層の土を採るようにしました。
最初の調査地点へ
周囲には沢山の盗掘坑があるくらいなので、何か見つかるだろうと予測して始めたのですが、いくら掘れども掘れどもボーリングで引き上げられる土の中には全く考古遺物が見つかりませんでした...。結局、直径10センチほどの穴の中に水が湧き始め、地層も砂の層に変わってしまいボーリングで引き上げることができなくなり、その場所でのボーリング調査は終了しました...。
盗掘坑の一つ
その後は、調査範囲内を色々と歩き回ったり、ボーリング調査が可能そうなところはボーリング調査を行い、なんとか発掘するべき場所をみつけようとしたのですが、結局は調査範囲内では考古遺物を見つけることができませんでした...。しかし、発掘に来ているのですから何処か発掘しないと。という訳で、ボーリング調査で比較的多く炭化物(昔の植物が炭のようになったのもで、人間の生活に関係する比較的可能性が高い)や焼けた粘土の塊が見つかった場所や、40年前のヒスイ製品の発見地点の近くにテストピットと呼ばれる試掘坑を開けることにしました。とりあえず、2x2メートルと1x1メートルの広さで2カ所の発掘を開始しました。
ボーリング調査風景
試掘坑での発掘風景
しかし、予想通りというか残念ながら、試掘坑からは1点の考古遺物も見つかりません。挙句の果てには、試掘坑内に水が湧いて来て通常の発掘のようにはいかなくなってきました。仕方が無いので大きい方の試掘坑も1x1メートルに縮小し、可能なかぎり下まで下げるということで作業を続けてもらいました。しかし、掘れども掘れども、出てくるのは泥と水ばかり。結局、何も見つからないまま。最終的には最初にも書いたように6カ所で試掘坑を開けたのですが、試掘坑からは考古遺物は何も見つかりませんでした。
水浸しの試掘坑...
そんな訳で、当初の予定では8月半ばまでの調査の予定だったのですが、考古遺物が見つからないことと、アメリカ人の学生さんが体調を崩して入院したということも重なり、7月後半に調査は終了になってしまいました。大急ぎで、宿泊所を片付け、アメリカ人の学生さんと団長さんの家族はアメリカに向けて出発し、僕らはベラクルス州の州都ハラパに向けて出発することになりました。今後は僕だけが整理作業のために雇ってもらえたので、僕はハラパに滞在して今回の調査の整理作業をすることになってます。発掘は大ハズレで殆ど出土遺物は無いのですが、1週間ほど周辺の遺跡の分布調査も行い、そこではある程度の量の考古遺物を採集することができたので、整理作業を必要とする考古遺物は段ボール箱5箱分くらいはあります。3人のメキシコ人の学生さん達は、それぞれ次の仕事を求めて2人は一ヶ月間の調査でパナマ共和国へ出発し、1人は9月から年末までメキシコの反対側にあるゲレロ州の海岸地帯で調査に行くことになってます。
整理作業については、また機会をあらためて報告していきますが、僕は元気にやってます。
おまけ(調査地点の裏で見つけたワニの巣...中には卵があるらしい)
やっと,終わりました。怒濤の2週間。 3月初めにお仕事のボスがやってきてから昨日までの2週間、疲れた〜...。
メキシコでののんびり仕事に慣れてしまっている僕にとって、この2週間はしんどかった。あっちに行ったりこっちに行ったり、あれをやったりこれをやったり、土日もなかったし...。最終日は朝3時まで...。最後は頭のてっぺんから煙が出てくるんじゃないかと思うほど。
今では職場は嵐が過ぎ去った後のように穏やかな時間が流れてます。
もちろん、一番忙しかったのはボス本人なのですが、そのペースにあわせる僕らもなかなか大変でした。
今回の僕の主な仕事は、日本と中国から来墨されたDNA分析の先生達のお手伝い兼通訳と、3月下旬に行われるアメリカの考古学会の発表資料の作成のお手伝いでした。

DNAサンプル採取風景
3月末にはボスが再び来墨するので、それまでしばし休憩。ちょうど今週はセマナサンタというメキシコの休暇期間に入るのでのんびりしようと思います。
メキシコでののんびり仕事に慣れてしまっている僕にとって、この2週間はしんどかった。あっちに行ったりこっちに行ったり、あれをやったりこれをやったり、土日もなかったし...。最終日は朝3時まで...。最後は頭のてっぺんから煙が出てくるんじゃないかと思うほど。
今では職場は嵐が過ぎ去った後のように穏やかな時間が流れてます。
もちろん、一番忙しかったのはボス本人なのですが、そのペースにあわせる僕らもなかなか大変でした。
今回の僕の主な仕事は、日本と中国から来墨されたDNA分析の先生達のお手伝い兼通訳と、3月下旬に行われるアメリカの考古学会の発表資料の作成のお手伝いでした。
DNAサンプル採取風景
3月末にはボスが再び来墨するので、それまでしばし休憩。ちょうど今週はセマナサンタというメキシコの休暇期間に入るのでのんびりしようと思います。
火曜日は、もちろん僕ではなく、友人の修士課程の最終試験があり大学に行ってきました。
日本ではどうなのかよく分かりませんが、メキシコでは学部も修士も博士課程も全て最終試験は公開で行われます。
審査をする先生方、そして友人や家族などを前にして本人が自分の論文の要旨を発表し、その後、先生方からの質問への受け答えをします。その後、先生方以外は部屋の外に出て、審査の結果を待ちます。
友人の修論はサン・ロレンソ遺跡で出土したフリント製の石器に関するものでした。これまでのオルメカ研究のなかでも、メソアメリカ考古学全体でもフリントに関する研究は同じ石器研究でも黒曜石に比べると非常に少ないので、大変だったと思いますが、よくまとまっていました。
僕も頑張らねばと思った一日でした。
日本ではどうなのかよく分かりませんが、メキシコでは学部も修士も博士課程も全て最終試験は公開で行われます。
審査をする先生方、そして友人や家族などを前にして本人が自分の論文の要旨を発表し、その後、先生方からの質問への受け答えをします。その後、先生方以外は部屋の外に出て、審査の結果を待ちます。
友人の修論はサン・ロレンソ遺跡で出土したフリント製の石器に関するものでした。これまでのオルメカ研究のなかでも、メソアメリカ考古学全体でもフリントに関する研究は同じ石器研究でも黒曜石に比べると非常に少ないので、大変だったと思いますが、よくまとまっていました。
僕も頑張らねばと思った一日でした。
昨日は、友人K君とパレドンと呼ばれる地域の黒曜石を拾いに行ってきました。
8時半にテオティワカンを出発し、コンビと呼ばれる乗り合いタクシーのようなものに乗り約20分でオトゥンバという街に到着。そこから、バスに乗り約30分でシウダー・サアグンという更に少し大きな街まで行きました。ここまでは、非常に順調だったのですが、ここで次の目的地まで行くためのコンビを待つ事約2時間!
なんとか、次の目的地まで辿り着いたのですがその時、すでに午後12時半。そこから、目的地までは約3キロほどらしいので次のバスが来るまで待つ事も無いだろうという事で歩き始める事に。

奥に見える山の向こうの方に黒曜石の原産地があるらしい。
しばらく歩いていると、後からバスがやってきたので早速乗る事に。バスに10分くらい乗っているとどうやら目的地を過ぎてしまったらしい事に気がつき、とりあえず近くの集落で下車しました。
降りた場所はトレス・カベサス(日本語にすると3つの頭)という場所。

とりあえず、周りを見渡し写真を何枚かパチパチと撮り、ふと脇に目をやると、あるじゃないですか、黒曜石がゴロゴロと。降りる場所を間違えたと思ったら、実は大正解の場所でした。

周囲の風景。降りた場所の脇で見つけた黒曜石が散布する場所。黒い石が黒曜石。
更に少し歩くと、巨大な谷(多分、用水路)があり、そこをよく見ると崖から黒曜石が顔を出していました。そこで、K君とともにこの崖に沿って歩く事に。

谷の写真(右側の崖に黒曜石が沢山見られます)。拡大写真(ちょっとわかりずらいか...)。
谷の周りは畑になっていて、今はちょうど農閑期のようで何も植わってなく、そこにも沢山の黒曜石が落ちていました。K君と僕はひたすらその谷に沿って歩き、所々でサンプルとなる黒曜石を拾いました。昨日は久々に良い運動になりました。

崖に見える黒曜石の露頭。露頭の拡大写真。あちらこちらに黒曜石の露頭が。

崖の高さはゆうに10メートル以上、さすがに降りる事は出来ませんでした。河原にもゴロゴロと大きな黒曜石の塊が落ちてます。畑にも拳大程度の黒曜石がゴロゴロ。K君の周りにある黒い石は全て黒曜石。

おまけのウチワサボテン。めずらしくまんまるのウチワサボテン。普通は楕円形なのですがなぜか、この辺りはまんまるのウチワサボテンが沢山あった。
8時半にテオティワカンを出発し、コンビと呼ばれる乗り合いタクシーのようなものに乗り約20分でオトゥンバという街に到着。そこから、バスに乗り約30分でシウダー・サアグンという更に少し大きな街まで行きました。ここまでは、非常に順調だったのですが、ここで次の目的地まで行くためのコンビを待つ事約2時間!
なんとか、次の目的地まで辿り着いたのですがその時、すでに午後12時半。そこから、目的地までは約3キロほどらしいので次のバスが来るまで待つ事も無いだろうという事で歩き始める事に。
奥に見える山の向こうの方に黒曜石の原産地があるらしい。
しばらく歩いていると、後からバスがやってきたので早速乗る事に。バスに10分くらい乗っているとどうやら目的地を過ぎてしまったらしい事に気がつき、とりあえず近くの集落で下車しました。
降りた場所はトレス・カベサス(日本語にすると3つの頭)という場所。
とりあえず、周りを見渡し写真を何枚かパチパチと撮り、ふと脇に目をやると、あるじゃないですか、黒曜石がゴロゴロと。降りる場所を間違えたと思ったら、実は大正解の場所でした。
周囲の風景。降りた場所の脇で見つけた黒曜石が散布する場所。黒い石が黒曜石。
更に少し歩くと、巨大な谷(多分、用水路)があり、そこをよく見ると崖から黒曜石が顔を出していました。そこで、K君とともにこの崖に沿って歩く事に。
谷の写真(右側の崖に黒曜石が沢山見られます)。拡大写真(ちょっとわかりずらいか...)。
谷の周りは畑になっていて、今はちょうど農閑期のようで何も植わってなく、そこにも沢山の黒曜石が落ちていました。K君と僕はひたすらその谷に沿って歩き、所々でサンプルとなる黒曜石を拾いました。昨日は久々に良い運動になりました。
崖に見える黒曜石の露頭。露頭の拡大写真。あちらこちらに黒曜石の露頭が。
崖の高さはゆうに10メートル以上、さすがに降りる事は出来ませんでした。河原にもゴロゴロと大きな黒曜石の塊が落ちてます。畑にも拳大程度の黒曜石がゴロゴロ。K君の周りにある黒い石は全て黒曜石。
おまけのウチワサボテン。めずらしくまんまるのウチワサボテン。普通は楕円形なのですがなぜか、この辺りはまんまるのウチワサボテンが沢山あった。
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1971/05/01
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