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オルメカ文化研究者の日誌
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色々と書きたい事がたまっているのですが、今日はとりあえずお知らせを2つだけ。

まずはじめに、10月9日(土)から東京池袋の古代オリエント博物館で『古代メキシコ・オルメカ文明展』が開催されます。
オルメカ文明に関するメキシコの数多くの国宝級考古遺物が展示されます。東京の近くにお住まいで、美術、古代文明、メキシコ、メソアメリカそして考古学に興味をお持ちの方は、この機会を逃さないように!オルメカ文明を代表する様々な大型石彫はめったに日本で展示される事はありません。


www.asahi.com/event/olmeca

それから、次のお知らせもオルメカ文明に関係するイベントなのですが、残念ながらメキシコでの催しです。メキシコにいらっしゃる方は是非のぞいてみて下さい。

オルメカ文明初期の古代遺跡サン・ロレンソで20年にわたって調査研究を続けている「サン・ロレンソ・テノチティトラン・プロジェクト」の20周年記念。そして、この調査を率いてきたアン・サイファース博士の業績に敬意を表するイベントが、10月11日(月)にハラパ人類学博物館で開催されます。メキシコをはじめ、アメリカ、イタリア、オーストラリアそして日本のオルメカ研究者が多数参加し、研究発表をします。

  
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僕にとって8月はビザの更新など色々と書類手続きが目白押しの忙しい月なのです。

とりあえず、最重要課題のビザの更新を終えた8月中旬、ベラクルス州の州都ハラパにあるベラクルス大学人類学部から発掘の方法と技術に関する演習の非常勤講師の募集が出ました。締め切りまで約1週間と短い期間の中、多くの友人達の協力のおかげで、先週火曜日に締め切りギリギリで必要書類を提出する事ができました。

試験は翌々日の木曜日、審査官3人および、一般の聴衆(もちろん、学生や他の先生方)を前に授業プランについて発表するというもので、15分の発表の後に質疑応答という形式でした。ちなみに、応募したのは僕を含めて3人だけ。なんとか、発表と質疑応答を終え、結果は翌日金曜日に学内に張り出されるという事で、当初はメキシコシティに戻る予定だったのを、翌日まで滞在する事にしました。

この急遽決めた予定変更のおかげで、友人が働く人類学博物館で巨石人頭像の梱包および搬出作業というめったに見る事ができない作業を見学させてもらう事ができました。作業は僕らの試験が始まる前、午前11時頃から開始されたそうですが、僕が博物館に着いた午後1時ごろにはまだ巨石人頭像を移動させるための準備作業が行われている所でした。

 
(写真)

巨石人頭像が宙に浮いた瞬間は、さすがに見ている僕もなぜか緊張しました。しかも、移動はゆっくり、ゆっくりと人力で行なわれるんです。重量が4t以上ある巨石人頭像を人力で動かすとは思ってませんでした...。

 
(写真)

移動した巨石人頭像はケースの上に仰向けに寝かせられました。そして、普段は決して見る事ができない巨石人頭像の下部を初めてまじまじと見る事ができました。

 
(写真)

そして、巨石人頭像はミイラのように白い紙をグルグル巻きにされてしまいました。その後、しっかりと台座に固定され、木箱が完成されていきました。木箱の中を見ると、なんだかとても巨石人頭像が入っているようには見えません...。

    
(写真)

木箱が完成した後は、遂に搬送作業が始まります。これまた、木箱の下に台車をかませただけで人力で動かすという作業でした。ゆっくり、ゆっくりと木箱が展示室から搬出口にむけて移動されていきます。
展示室を出ると、展示室をつなぐ通路になっているのですが、そこには数段の階段が設置されており、そこにはスロープを作り、ジャッキのようなもので引き上げて移動させるという方法がとられました。

  
(写真)

この階段もまっすぐに設置されていればもっと簡単だったのでしょうが、微妙にずれるように設置されているので、1段通路を上がるたびに横に移動させ次の通路に向けたスロープをあげるという作業の繰り返しで、結局、展示会場から倉庫のある搬出口への出口についた段階で、すでに深夜1時半...。
さすがに、友人も僕も疲れ果ててしまい、その後は専門の人たちにお任せして博物館を後にしました。
かなりの長丁場で結構疲れましたが、本当にいい経験をする事が出来たと思います。

さて、そんな感じで疲れ果ててしまった僕は、もう一人の友人の家に戻り、とりあえず金曜日(既に同日の朝)発表される、試験結果を見に行くために朝まで一眠りする事にしました。たぶん、普通は緊張して寝れないのでしょうが、横になるなりあっという間に寝てしまい、ぐっすりと寝る事が出来ました。

金曜日の朝、家に泊めてもらった友人と一緒に大学に行き、結果が張り出される場所を見てみたのですが、さすがにメキシコ。予想通り、何も張ってあありません...。仕方ないので、しばらく待つ事にしました。

ようやく、お昼近くになって掲示板に結果が張り出され、一緒に試験を受けた友達と結果を見てみると、なんと、僕が試験を通っていることが書かれていました。つまり、合格です。初めて大学で授業をすることになったのです...。

なんだか、訳の分からないまま、とりあえず学部長の秘書の所に行って書類を受け取ってくるようにと言われ、言われるがままに書類を受け取りました。
で、次は何をしなければ行けないのかと思ったら、翌週月曜日の10時から学生向けの授業の説明会があるのでそこに出席してほしいとの事でした。僕も何か話すのかと聞いたら、「いや、学生に君の事を紹介するだけなので、いてくれるだけで良い」と言われ、果たして一度メキシコシティに戻るか、月曜日までハラパに滞在するか悩んだのですが、結局、提出しなければいけない書類の準備などもあり、一度戻る事に決めました。

「何も準備しなくても良い」とは言われたものの、ここはメキシコですから、急に変更されるかもしれません。そこで、とりあえず、試験の時に話した内容を少し修正して、急に何か話せと言われても何とかなるように、簡単な準備だけをして、書類手続きの準備もして、再び日曜日の深夜、ハラパに向けて出発しました。

早朝5時にハラパのバスターミになるに着き、しばらくはコーヒーを飲んだり、必要書類に情報を書き込んだりしながら時間を潰していました。でも、さすがに2時間も経つとやる事がなくなってしまい、仕方がないので少し早かったのですが8時半には大学に着いてしまいました。

しばらくすると、友人が来て、僕も教員のリストにサインをしなければいけないという事を教えてもらい、一緒に職員室のような所に行って、初めて教員リストにサインをしました。

次は、会場となる大きな教室に行き、準備のお手伝いをして説明会が始まるのを待つ事に。説明会では本当に僕は初めに学生さん達に紹介してもらっただけで、後は他の先生方の考古学実習に関する説明を聞くだけですみました。

説明会の後、学生さん達は各人が参加したい考古学実習を提出し、先生方がそれらを均等になるように割り振り、各人が受け持つ学生が決定しました。僕の授業に参加する学生は、結局25人という事になりました。

果たして、皆に興味を持ってもらえる授業ができるのかどうか...。
最初の授業は、翌々日の水曜日朝10時からでした。
今回はだいぶ長くなってしまったので、これについては、また日を改めて...。
先週の火曜日(8月3日)の深夜、 ベラクルス州南部のロス・ソルダードス遺跡の発掘調査から戻ってきました。

2年前に参加したアロージョ・ペスケーロ考古学プロジェクトの継続調査です。この時に表面採集をして大量の遺物が現在の村の地表面で見つかり、団長のカール・ウェント博士が2年間の準備期間を費やし、満を持しての調査でした。

 
(写真ロス・ソルダードス遺跡石彫1号と2号。石彫2号は最近京都で始まった『古代メキシコ・オルメカ文明展:マヤへの道』(京都の後は東京→北九州→名古屋→鹿児島と移動)という展覧会で実物が展示されています!ちなみに、これら2体の石彫、僕らが調査した遺跡から出土したのか、それともその近隣地域から出土したのかは現在調査中で不明...)

6月第1週目の週末に、ベラクルス州の州都ハラパに入り、そこで団長カールと副団長ロベルトと合流し、今回の調査に参加する3人の新しいArqueologaたちにも会い、翌朝、遺跡の近くにある町アグア・ドゥルセに向けて出発しました。


ほんとは、ここから一気に調査の内容や調査期間中にあった色々な事を書きたい所ですが、実は戻ってきてから疲れのせいか高熱に悩まされ、未だに本調子に戻っていないので、もう少し元気になってから続きを書こうと思います。きっと、調査も無事に終わり、家に戻ってきて気が抜けてしまったのでしょう...。

では、また。
ベットに入ったものの、結局あまり寝付けずにウトウトとしている間に、目覚ましのアラームが鳴った。ベットから抜け出し、シャワーを浴び、着替えをして必要なものを鞄につめる。準備ができたので、ロベルトとカールを起こして出かける。

会場近くの、コーヒーショップで朝食をとり、会場へ向かう。
会場には今回のシンポジウムのオーガナイザーが準備をしていた。メールではやり取りはしていたものの初めて会う二人の先生に挨拶をして、僕の発表用のパワーポイントが入ったUSBメモリーを渡す。

ここ2週間くらい、僕のUSBメモリーは動作が不安定だったので、念のために2つ用意し、さらに万が一のためにパソコンも持ってきてあった。案の定、初めに渡したUSBメモリーは上手く読み込んでくれない...。やっぱりと思って、パソコンを取り出し、先生方が用意してくれたUSBメモリーにデータを移す。今度は、ちゃんと読み込んでくれた。

安心したのも束の間、今度はファイルが開けないと言う...。何度か繰り返し開いているうちに、ようやく開く事が出来た。念のために、開いたままにしようという事になり、これでようやく一安心。あとは僕の順番を待つだけになった。

僕の前には7人の発表者が居たのだが、そのうちの2人は用事があって来れないという事らしい。欠席者の発表時間は、休憩時間になるのだが、2回目の休憩の時に司会の先生から、僕の発表用のパワーポイントを閉じてしまったので、もう一回開こうとしたら、やっぱり開けないと言うのでもう一度、USBからダウンロードすることに。後は、発表直前にちゃんと開いてくれる事を祈るしか無い...。

僕の順番が回ってきた。ファイルは1、2分でちゃんと開いてくれた。とりあえず、一安心して発表を始める。今回のシンポジウムはメソアメリカからコロンビアに至る地域の先古典期の衣装というテーマだったので、僕の博論の一部であるオルメカ文化の衣装、とくに頭飾りに注目した内容を発表した。

発表の内容をかいつまんで説明すると、オルメカ文化では衣装に限らず、人間の頭部に大きな注意が払われていたと考えられている。そこで、社会的にも重要な役割を果たしていたと考えられている大型の石彫に表現された頭飾りに注目して見てみると、時間の経過と共に頭飾りが大きくなり、その装飾も一段と複雑になっていく。また、一場面が描かれた石彫に現れる人々の頭飾りの大きさや複雑性からオルメカ社会における人々の階層化も読み取れるのではないか、というのが発表の要旨である。

発表の途中で、時計を見るとすでに発表時間の15分間が終わろうとしていた。僕の前に発表した人たちは皆15分以内でちゃんと発表を終えていたので、僕も終わらせないとと思い、最後の方はかなり早口になってしまった。

 

まあ、色々と問題はあったが、何とか発表を終わる事ができた。シッンポジウムの後、二人の先生方からこのシンポジウムの内容を出版するので、皆、6月1日までに原稿を提出するようにと説明があった。メキシコに戻ったら、6月から現場に出ることになっているので、その前に原稿を仕上げてしまわねば。

僕らのシンポジウムは最終日の最後の時間帯だったので、先に終わっていたロベルト達に合流して、ご飯を食べに行った。またまた、でっかいハンバーガーとビール...。まあ、美味しいから良いんだけど...。



(みんな発表を終えてリラックス)

ご飯を食べた後は、何人かの友人達は家路についた。翌日メキシコに帰る事になっていた僕とロベルトは、ずっと気になっていた町のモニュメント、アーチを登る事にした。日曜日の午後という事もあり、かなりの混雑だった。途中、エレベーターの故障なども重なり、2時間近く待って、ようやくアーチのてっぺんに登る事ができた。

 

アーチのてっぺんから見る景色は、先に登った何人かの友達が言っていたように、とても素晴らしかった。カホキア遺跡からもこのアーチが見えていたので、アーチからも遺跡を見る事が出来るかもしれないと、目を凝らして探したのだが、結局どこに遺跡があるのかは分からずじまいだった...。

  



ロベルトは夜になると再びメジャーリーグを見に行ったので、僕は、昼間に学会会場であったメキシコ人の友人エンリケとその友人達とご飯を食べに行く事にした。日曜日のせいか、お目当てのレストランは閉まっていたので町の中をウロウロと他の場所を探しまわり、ようやく1軒のステーキハウスを見つけて入る事にする。僕もそうだったのだが、みんな、最終日はステーキと決めていたらしい。

夕飯を食べた後は、軽くビールでもということになり、場所を変えてビールを飲みに行った。そうやって、今回のセントルイスでの学会は無事に終わった。
今回も呑みっぱなしだったような気もするが、色々な所も観光できたし、学問的にも有意義な学会参加だった。



さて、次は今回の原稿の仕上げと、現場に出る前に提出するとサイファース先生と約束した博論の下書きの一部を完成させないと。
朝10時頃、目を覚ますと横に寝ているはずのロベルトが居ない...。一瞬、おいて行かれたのかと思ったら、その隣のカールはまだ寝ている。ということで、もう一眠りと思ったら、部屋のドアが開きロベルトが入ってきた。早くに目が覚めたので朝食を食べた後、家族のお土産を買いに行っていたそうだ。チャーリーは彼の専門の石器のシンポジウムを聞くために朝早くに出かけたらしい。さすが考古学者!どんなに前日呑んでも翌日はちゃんと働くのである...。

とりあえず、カールと共に起き上がり朝食を食べに行く事にする。
朝食後、ホテルのレンタカーを予約して部屋に戻るとロベルトは完璧にカホキア遺跡に行く準備ができていた。僕らも急いで準備をして、レンタカーの確認の電話を待っていると、結局、全ての車がうまっていて今日は用意できないという。そこで、カールが他のレンタカー屋の電話番号を聞いて、電話すると何軒目かにようやく見つかった。

早速、他のホテルにあるそのレンタカー屋に行ってみると、やっぱり今日は週末で全ての車がうまっていると言う...。カールはすごく困った顔をしていたが、ロベルトも僕もメキシコでのいい加減な対応には慣れているので、それじゃ、タクシーでも探してみるかということで、学会のイベント会場のタクシー乗り場に行ってみる。そこには、事前に予約した人たちが学会主催のツアーに行くために大きなバスに乗り込んでいる所だった。

バスは予約した人たちで完全に一杯になっていたので僕らは乗る事はできない。そこで、タクシーを探してみるとショチルとネイタンが寄って来た。どうしたのかと、聞いてみると、僕らがレンタカーを探している間に、彼らもカホキア遺跡に行こうと僕らにこの場所で1時に待ち合わせをしようとメールを送ったらしい。完全に偶然なのだが、ちょうど僕らが学会の会場入り口に着いたのが1時だった。

そんな訳で、5人で1台の大きなタクシーに乗り込み、いざカホキア遺跡へと出発!ダウンタウンを離れて20分ほどで遺跡に到着。前日、僕らの指導教官サイファース先生からカホキア遺跡の博物館はすごく良いので是非見てくるようにと言われていたロベルトと僕は、早速博物館の中へと入って行った。遺跡も博物館も基本的には無料らしく、入り口に寄付金を募る箱が置かれているだけだった。

  

(タクシーから見る「修道士のマウンド(Monks Mound)」。遺跡の景観はどことなくベラクルス南部の遺跡に似ている)

博物館の中は、サイファース先生の言った通り、とても分かりやすく遺物が展示されていて、僕らの目を楽しませてくれた。ロベルトはひたすらビデオを回し、僕はひたすらカメラのシャッターを切る。僕らが手にするメソアメリカの遺物とは、やはり違うのだがどことなく似ている部分もある。

  

  

 

(博物館の展示。なんとなく縄文土器にも似た土器なんかもあったりする。展示の最後には発掘調査に関する展示コーナーもあり、これまでの調査の経過やどうやって調査をするのかという事が分かりやすく展示されていた。)

展示を見た後は、お決まりのミュージアムショップでのお土産漁り。僕は旅行に行くとTシャツを買う事にしているので、ここでデザインの良いTシャツに目をつけた。残念ながら僕のサイズはなかったのだが、大きくても着れるだろうと2サイズ上のものを買う事にした。他にもこまごましたお土産を買い込み、いざ遺跡公園へ。

 

(博物館を出るとそこはきれいに整備された遺跡が広がっていた。遺跡内には私有地も残っているそうだ。きっと色々な思い出のある先祖からの土地を離れるのが嫌なんだろう。その気持ちはなんとなく分かる気がする。)

まずは「修道士のマウンド」の南に広がるマウンド群を見て回る。双子のマウンドや、ピラミッド状のマウンド、そして博物館にも展示されていた豪華な副葬品を伴う埋葬が発見された72号マウンドなどを見て回った。

  

(とりあえず、記念撮影!!!)

そうして、次はようやくメインの「修道士のマウンド」へと向かう。遺跡の中には大きな公道が横切っていて、僕らはこの道を渡ってマウンドへとたどり着いた。ちなみに、遺跡見学者用の横断歩道も信号も何もない。車はとぎれとぎれにしか通らないので、その隙間を縫って道を渡る。なんだかメキシコみたいだ。

マウンドにはきれいな階段がつけられていて、そこを登って行く。頂上からは遺跡のほぼ全体を見渡す事ができる。遺跡の周りにはミシシッピー川の古い流れの名残なんだろう、大きな三日月湖がいくつも横たわっている。

  

「修道士のマウンド」からのすばらしい景色を堪能した僕らは、このマウンドの西側にある「ウッドヘンジ」を見に行く事にした。マウンドを降りて15分ほど歩くと、木柱列の大きなサークル「ウッドヘンジ」に到着した。この場所にはあまり人が来ていないようだった。唯一、自家用車で遺跡見学に来ている人たちが帰り道に寄って行くみたいだ。僕らがたどり着いた時には誰もいなかったが、そのうちにちらほらと何組かのグループがやって来た。



ここで、僕らに再び問題発生!カールがタクシーの連絡先を無くしたと言う...。さて、どうしたものか。まあ、遺跡には大きな道が通っているので、そのうちにタクシーも通るだろうという事でとりあえず道端に移動。

確かに、たまにタクシーは通るのだが、空車は通らない。皆、お客を乗せている。そりゃ、もっともだ。遺跡以外にはこの辺には何もないのだから...。そうこうしているうちに、ずっと色々なタクシー会社に電話をしていたカールがタクシーを予約する事ができた。10分ほどでタクシーが来て僕らはセントルイスのダウンタウンに戻る事が出来た。

 

(タクシー会社に電話するカール。ミシシッピー川を渡りダウンタウンに到着)

タクシーを降りて、少しするとカールが携帯が無いと言い出す。どうやら、タクシーに落としてしまったらしい。どうも今日はカールにとっては厄日みたいだ。学会の入り口でウロウロしていると、チャーリーとティムが会場から出てきた。とりあえず、ご飯を食べに行こうという事になり、近くのレストランへ移動してまたまたでっかいハンバーガーとビール。

ご飯の後はロベルトとカールが家族へのお土産を買いに行きたいという事だったので、一旦ホテルに戻って荷物を置いてからショッピングモールに出かける事に。
僕らがたどり着いた所は、古い駅舎を改装してホテルとショッピングモールを入れているらしい。着いたのがやや遅かったせいか何軒かのお店は閉まっていた。でも、カールもロベルトも家族へのお土産をいくつかは買う事が出来たようだ。

  

(ショッピングモールの入り口。中は何となく昔の駅の雰囲気を保っている。)



(マッサージチェアもあったので昼間の遺跡見学の疲れを癒す?)

さすがに、翌日発表が控えているロベルトと僕は今日は大人しく部屋に戻る事にする。カールも一日色々な所に行ったので疲れたのだろう、僕らと一緒に部屋に戻って早めに休むという。

部屋に戻った僕は、早速明日の発表のパワーポイントの仕上げにかかった。一応、ざっとは出来上がっていたのだが、いくつか写真を加える必要があった。発表自体はスペイン語でする予定だが、スライドには英語を使おうと思っていたので、カールに最終的なチェックをしてもらう。夜12時頃、ようやくスライドが出来上がった。出来上がったスライドをロベルトにチェックしてもらうと、いくつかのエラーがある事が発覚!...

ロベルトに指摘された間違いを直していると、さらに他の間違いがある事に気がついた...。結局、全て終わったのは深夜2時頃。翌日は6時に起きて7時には開場に向かう予定だったので、寝るか、そのまま起きているか迷ったのだが、とりあえず、ベットに横になる事にする。さすがに、僕も1日歩き回って疲れた。

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