オルメカ文化研究者の日誌
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ベットに入ったものの、結局あまり寝付けずにウトウトとしている間に、目覚ましのアラームが鳴った。ベットから抜け出し、シャワーを浴び、着替えをして必要なものを鞄につめる。準備ができたので、ロベルトとカールを起こして出かける。
会場近くの、コーヒーショップで朝食をとり、会場へ向かう。
会場には今回のシンポジウムのオーガナイザーが準備をしていた。メールではやり取りはしていたものの初めて会う二人の先生に挨拶をして、僕の発表用のパワーポイントが入ったUSBメモリーを渡す。
ここ2週間くらい、僕のUSBメモリーは動作が不安定だったので、念のために2つ用意し、さらに万が一のためにパソコンも持ってきてあった。案の定、初めに渡したUSBメモリーは上手く読み込んでくれない...。やっぱりと思って、パソコンを取り出し、先生方が用意してくれたUSBメモリーにデータを移す。今度は、ちゃんと読み込んでくれた。
安心したのも束の間、今度はファイルが開けないと言う...。何度か繰り返し開いているうちに、ようやく開く事が出来た。念のために、開いたままにしようという事になり、これでようやく一安心。あとは僕の順番を待つだけになった。
僕の前には7人の発表者が居たのだが、そのうちの2人は用事があって来れないという事らしい。欠席者の発表時間は、休憩時間になるのだが、2回目の休憩の時に司会の先生から、僕の発表用のパワーポイントを閉じてしまったので、もう一回開こうとしたら、やっぱり開けないと言うのでもう一度、USBからダウンロードすることに。後は、発表直前にちゃんと開いてくれる事を祈るしか無い...。
僕の順番が回ってきた。ファイルは1、2分でちゃんと開いてくれた。とりあえず、一安心して発表を始める。今回のシンポジウムはメソアメリカからコロンビアに至る地域の先古典期の衣装というテーマだったので、僕の博論の一部であるオルメカ文化の衣装、とくに頭飾りに注目した内容を発表した。
発表の内容をかいつまんで説明すると、オルメカ文化では衣装に限らず、人間の頭部に大きな注意が払われていたと考えられている。そこで、社会的にも重要な役割を果たしていたと考えられている大型の石彫に表現された頭飾りに注目して見てみると、時間の経過と共に頭飾りが大きくなり、その装飾も一段と複雑になっていく。また、一場面が描かれた石彫に現れる人々の頭飾りの大きさや複雑性からオルメカ社会における人々の階層化も読み取れるのではないか、というのが発表の要旨である。
発表の途中で、時計を見るとすでに発表時間の15分間が終わろうとしていた。僕の前に発表した人たちは皆15分以内でちゃんと発表を終えていたので、僕も終わらせないとと思い、最後の方はかなり早口になってしまった。

まあ、色々と問題はあったが、何とか発表を終わる事ができた。シッンポジウムの後、二人の先生方からこのシンポジウムの内容を出版するので、皆、6月1日までに原稿を提出するようにと説明があった。メキシコに戻ったら、6月から現場に出ることになっているので、その前に原稿を仕上げてしまわねば。
僕らのシンポジウムは最終日の最後の時間帯だったので、先に終わっていたロベルト達に合流して、ご飯を食べに行った。またまた、でっかいハンバーガーとビール...。まあ、美味しいから良いんだけど...。

(みんな発表を終えてリラックス)
ご飯を食べた後は、何人かの友人達は家路についた。翌日メキシコに帰る事になっていた僕とロベルトは、ずっと気になっていた町のモニュメント、アーチを登る事にした。日曜日の午後という事もあり、かなりの混雑だった。途中、エレベーターの故障なども重なり、2時間近く待って、ようやくアーチのてっぺんに登る事ができた。

アーチのてっぺんから見る景色は、先に登った何人かの友達が言っていたように、とても素晴らしかった。カホキア遺跡からもこのアーチが見えていたので、アーチからも遺跡を見る事が出来るかもしれないと、目を凝らして探したのだが、結局どこに遺跡があるのかは分からずじまいだった...。


ロベルトは夜になると再びメジャーリーグを見に行ったので、僕は、昼間に学会会場であったメキシコ人の友人エンリケとその友人達とご飯を食べに行く事にした。日曜日のせいか、お目当てのレストランは閉まっていたので町の中をウロウロと他の場所を探しまわり、ようやく1軒のステーキハウスを見つけて入る事にする。僕もそうだったのだが、みんな、最終日はステーキと決めていたらしい。
夕飯を食べた後は、軽くビールでもということになり、場所を変えてビールを飲みに行った。そうやって、今回のセントルイスでの学会は無事に終わった。
今回も呑みっぱなしだったような気もするが、色々な所も観光できたし、学問的にも有意義な学会参加だった。

さて、次は今回の原稿の仕上げと、現場に出る前に提出するとサイファース先生と約束した博論の下書きの一部を完成させないと。
会場近くの、コーヒーショップで朝食をとり、会場へ向かう。
会場には今回のシンポジウムのオーガナイザーが準備をしていた。メールではやり取りはしていたものの初めて会う二人の先生に挨拶をして、僕の発表用のパワーポイントが入ったUSBメモリーを渡す。
ここ2週間くらい、僕のUSBメモリーは動作が不安定だったので、念のために2つ用意し、さらに万が一のためにパソコンも持ってきてあった。案の定、初めに渡したUSBメモリーは上手く読み込んでくれない...。やっぱりと思って、パソコンを取り出し、先生方が用意してくれたUSBメモリーにデータを移す。今度は、ちゃんと読み込んでくれた。
安心したのも束の間、今度はファイルが開けないと言う...。何度か繰り返し開いているうちに、ようやく開く事が出来た。念のために、開いたままにしようという事になり、これでようやく一安心。あとは僕の順番を待つだけになった。
僕の前には7人の発表者が居たのだが、そのうちの2人は用事があって来れないという事らしい。欠席者の発表時間は、休憩時間になるのだが、2回目の休憩の時に司会の先生から、僕の発表用のパワーポイントを閉じてしまったので、もう一回開こうとしたら、やっぱり開けないと言うのでもう一度、USBからダウンロードすることに。後は、発表直前にちゃんと開いてくれる事を祈るしか無い...。
僕の順番が回ってきた。ファイルは1、2分でちゃんと開いてくれた。とりあえず、一安心して発表を始める。今回のシンポジウムはメソアメリカからコロンビアに至る地域の先古典期の衣装というテーマだったので、僕の博論の一部であるオルメカ文化の衣装、とくに頭飾りに注目した内容を発表した。
発表の内容をかいつまんで説明すると、オルメカ文化では衣装に限らず、人間の頭部に大きな注意が払われていたと考えられている。そこで、社会的にも重要な役割を果たしていたと考えられている大型の石彫に表現された頭飾りに注目して見てみると、時間の経過と共に頭飾りが大きくなり、その装飾も一段と複雑になっていく。また、一場面が描かれた石彫に現れる人々の頭飾りの大きさや複雑性からオルメカ社会における人々の階層化も読み取れるのではないか、というのが発表の要旨である。
発表の途中で、時計を見るとすでに発表時間の15分間が終わろうとしていた。僕の前に発表した人たちは皆15分以内でちゃんと発表を終えていたので、僕も終わらせないとと思い、最後の方はかなり早口になってしまった。
まあ、色々と問題はあったが、何とか発表を終わる事ができた。シッンポジウムの後、二人の先生方からこのシンポジウムの内容を出版するので、皆、6月1日までに原稿を提出するようにと説明があった。メキシコに戻ったら、6月から現場に出ることになっているので、その前に原稿を仕上げてしまわねば。
僕らのシンポジウムは最終日の最後の時間帯だったので、先に終わっていたロベルト達に合流して、ご飯を食べに行った。またまた、でっかいハンバーガーとビール...。まあ、美味しいから良いんだけど...。
(みんな発表を終えてリラックス)
ご飯を食べた後は、何人かの友人達は家路についた。翌日メキシコに帰る事になっていた僕とロベルトは、ずっと気になっていた町のモニュメント、アーチを登る事にした。日曜日の午後という事もあり、かなりの混雑だった。途中、エレベーターの故障なども重なり、2時間近く待って、ようやくアーチのてっぺんに登る事ができた。
アーチのてっぺんから見る景色は、先に登った何人かの友達が言っていたように、とても素晴らしかった。カホキア遺跡からもこのアーチが見えていたので、アーチからも遺跡を見る事が出来るかもしれないと、目を凝らして探したのだが、結局どこに遺跡があるのかは分からずじまいだった...。
ロベルトは夜になると再びメジャーリーグを見に行ったので、僕は、昼間に学会会場であったメキシコ人の友人エンリケとその友人達とご飯を食べに行く事にした。日曜日のせいか、お目当てのレストランは閉まっていたので町の中をウロウロと他の場所を探しまわり、ようやく1軒のステーキハウスを見つけて入る事にする。僕もそうだったのだが、みんな、最終日はステーキと決めていたらしい。
夕飯を食べた後は、軽くビールでもということになり、場所を変えてビールを飲みに行った。そうやって、今回のセントルイスでの学会は無事に終わった。
今回も呑みっぱなしだったような気もするが、色々な所も観光できたし、学問的にも有意義な学会参加だった。
さて、次は今回の原稿の仕上げと、現場に出る前に提出するとサイファース先生と約束した博論の下書きの一部を完成させないと。
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朝10時頃、目を覚ますと横に寝ているはずのロベルトが居ない...。一瞬、おいて行かれたのかと思ったら、その隣のカールはまだ寝ている。ということで、もう一眠りと思ったら、部屋のドアが開きロベルトが入ってきた。早くに目が覚めたので朝食を食べた後、家族のお土産を買いに行っていたそうだ。チャーリーは彼の専門の石器のシンポジウムを聞くために朝早くに出かけたらしい。さすが考古学者!どんなに前日呑んでも翌日はちゃんと働くのである...。
とりあえず、カールと共に起き上がり朝食を食べに行く事にする。
朝食後、ホテルのレンタカーを予約して部屋に戻るとロベルトは完璧にカホキア遺跡に行く準備ができていた。僕らも急いで準備をして、レンタカーの確認の電話を待っていると、結局、全ての車がうまっていて今日は用意できないという。そこで、カールが他のレンタカー屋の電話番号を聞いて、電話すると何軒目かにようやく見つかった。
早速、他のホテルにあるそのレンタカー屋に行ってみると、やっぱり今日は週末で全ての車がうまっていると言う...。カールはすごく困った顔をしていたが、ロベルトも僕もメキシコでのいい加減な対応には慣れているので、それじゃ、タクシーでも探してみるかということで、学会のイベント会場のタクシー乗り場に行ってみる。そこには、事前に予約した人たちが学会主催のツアーに行くために大きなバスに乗り込んでいる所だった。
バスは予約した人たちで完全に一杯になっていたので僕らは乗る事はできない。そこで、タクシーを探してみるとショチルとネイタンが寄って来た。どうしたのかと、聞いてみると、僕らがレンタカーを探している間に、彼らもカホキア遺跡に行こうと僕らにこの場所で1時に待ち合わせをしようとメールを送ったらしい。完全に偶然なのだが、ちょうど僕らが学会の会場入り口に着いたのが1時だった。
そんな訳で、5人で1台の大きなタクシーに乗り込み、いざカホキア遺跡へと出発!ダウンタウンを離れて20分ほどで遺跡に到着。前日、僕らの指導教官サイファース先生からカホキア遺跡の博物館はすごく良いので是非見てくるようにと言われていたロベルトと僕は、早速博物館の中へと入って行った。遺跡も博物館も基本的には無料らしく、入り口に寄付金を募る箱が置かれているだけだった。

(タクシーから見る「修道士のマウンド(Monks Mound)」。遺跡の景観はどことなくベラクルス南部の遺跡に似ている)
博物館の中は、サイファース先生の言った通り、とても分かりやすく遺物が展示されていて、僕らの目を楽しませてくれた。ロベルトはひたすらビデオを回し、僕はひたすらカメラのシャッターを切る。僕らが手にするメソアメリカの遺物とは、やはり違うのだがどことなく似ている部分もある。



(博物館の展示。なんとなく縄文土器にも似た土器なんかもあったりする。展示の最後には発掘調査に関する展示コーナーもあり、これまでの調査の経過やどうやって調査をするのかという事が分かりやすく展示されていた。)
展示を見た後は、お決まりのミュージアムショップでのお土産漁り。僕は旅行に行くとTシャツを買う事にしているので、ここでデザインの良いTシャツに目をつけた。残念ながら僕のサイズはなかったのだが、大きくても着れるだろうと2サイズ上のものを買う事にした。他にもこまごましたお土産を買い込み、いざ遺跡公園へ。

(博物館を出るとそこはきれいに整備された遺跡が広がっていた。遺跡内には私有地も残っているそうだ。きっと色々な思い出のある先祖からの土地を離れるのが嫌なんだろう。その気持ちはなんとなく分かる気がする。)
まずは「修道士のマウンド」の南に広がるマウンド群を見て回る。双子のマウンドや、ピラミッド状のマウンド、そして博物館にも展示されていた豪華な副葬品を伴う埋葬が発見された72号マウンドなどを見て回った。

(とりあえず、記念撮影!!!)
そうして、次はようやくメインの「修道士のマウンド」へと向かう。遺跡の中には大きな公道が横切っていて、僕らはこの道を渡ってマウンドへとたどり着いた。ちなみに、遺跡見学者用の横断歩道も信号も何もない。車はとぎれとぎれにしか通らないので、その隙間を縫って道を渡る。なんだかメキシコみたいだ。
マウンドにはきれいな階段がつけられていて、そこを登って行く。頂上からは遺跡のほぼ全体を見渡す事ができる。遺跡の周りにはミシシッピー川の古い流れの名残なんだろう、大きな三日月湖がいくつも横たわっている。

「修道士のマウンド」からのすばらしい景色を堪能した僕らは、このマウンドの西側にある「ウッドヘンジ」を見に行く事にした。マウンドを降りて15分ほど歩くと、木柱列の大きなサークル「ウッドヘンジ」に到着した。この場所にはあまり人が来ていないようだった。唯一、自家用車で遺跡見学に来ている人たちが帰り道に寄って行くみたいだ。僕らがたどり着いた時には誰もいなかったが、そのうちにちらほらと何組かのグループがやって来た。

ここで、僕らに再び問題発生!カールがタクシーの連絡先を無くしたと言う...。さて、どうしたものか。まあ、遺跡には大きな道が通っているので、そのうちにタクシーも通るだろうという事でとりあえず道端に移動。
確かに、たまにタクシーは通るのだが、空車は通らない。皆、お客を乗せている。そりゃ、もっともだ。遺跡以外にはこの辺には何もないのだから...。そうこうしているうちに、ずっと色々なタクシー会社に電話をしていたカールがタクシーを予約する事ができた。10分ほどでタクシーが来て僕らはセントルイスのダウンタウンに戻る事が出来た。

(タクシー会社に電話するカール。ミシシッピー川を渡りダウンタウンに到着)
タクシーを降りて、少しするとカールが携帯が無いと言い出す。どうやら、タクシーに落としてしまったらしい。どうも今日はカールにとっては厄日みたいだ。学会の入り口でウロウロしていると、チャーリーとティムが会場から出てきた。とりあえず、ご飯を食べに行こうという事になり、近くのレストランへ移動してまたまたでっかいハンバーガーとビール。
ご飯の後はロベルトとカールが家族へのお土産を買いに行きたいという事だったので、一旦ホテルに戻って荷物を置いてからショッピングモールに出かける事に。
僕らがたどり着いた所は、古い駅舎を改装してホテルとショッピングモールを入れているらしい。着いたのがやや遅かったせいか何軒かのお店は閉まっていた。でも、カールもロベルトも家族へのお土産をいくつかは買う事が出来たようだ。

(ショッピングモールの入り口。中は何となく昔の駅の雰囲気を保っている。)

(マッサージチェアもあったので昼間の遺跡見学の疲れを癒す?)
さすがに、翌日発表が控えているロベルトと僕は今日は大人しく部屋に戻る事にする。カールも一日色々な所に行ったので疲れたのだろう、僕らと一緒に部屋に戻って早めに休むという。
部屋に戻った僕は、早速明日の発表のパワーポイントの仕上げにかかった。一応、ざっとは出来上がっていたのだが、いくつか写真を加える必要があった。発表自体はスペイン語でする予定だが、スライドには英語を使おうと思っていたので、カールに最終的なチェックをしてもらう。夜12時頃、ようやくスライドが出来上がった。出来上がったスライドをロベルトにチェックしてもらうと、いくつかのエラーがある事が発覚!...
ロベルトに指摘された間違いを直していると、さらに他の間違いがある事に気がついた...。結局、全て終わったのは深夜2時頃。翌日は6時に起きて7時には開場に向かう予定だったので、寝るか、そのまま起きているか迷ったのだが、とりあえず、ベットに横になる事にする。さすがに、僕も1日歩き回って疲れた。
発表まで、あと数時間。さあ、どうなる???
とりあえず、カールと共に起き上がり朝食を食べに行く事にする。
朝食後、ホテルのレンタカーを予約して部屋に戻るとロベルトは完璧にカホキア遺跡に行く準備ができていた。僕らも急いで準備をして、レンタカーの確認の電話を待っていると、結局、全ての車がうまっていて今日は用意できないという。そこで、カールが他のレンタカー屋の電話番号を聞いて、電話すると何軒目かにようやく見つかった。
早速、他のホテルにあるそのレンタカー屋に行ってみると、やっぱり今日は週末で全ての車がうまっていると言う...。カールはすごく困った顔をしていたが、ロベルトも僕もメキシコでのいい加減な対応には慣れているので、それじゃ、タクシーでも探してみるかということで、学会のイベント会場のタクシー乗り場に行ってみる。そこには、事前に予約した人たちが学会主催のツアーに行くために大きなバスに乗り込んでいる所だった。
バスは予約した人たちで完全に一杯になっていたので僕らは乗る事はできない。そこで、タクシーを探してみるとショチルとネイタンが寄って来た。どうしたのかと、聞いてみると、僕らがレンタカーを探している間に、彼らもカホキア遺跡に行こうと僕らにこの場所で1時に待ち合わせをしようとメールを送ったらしい。完全に偶然なのだが、ちょうど僕らが学会の会場入り口に着いたのが1時だった。
そんな訳で、5人で1台の大きなタクシーに乗り込み、いざカホキア遺跡へと出発!ダウンタウンを離れて20分ほどで遺跡に到着。前日、僕らの指導教官サイファース先生からカホキア遺跡の博物館はすごく良いので是非見てくるようにと言われていたロベルトと僕は、早速博物館の中へと入って行った。遺跡も博物館も基本的には無料らしく、入り口に寄付金を募る箱が置かれているだけだった。
(タクシーから見る「修道士のマウンド(Monks Mound)」。遺跡の景観はどことなくベラクルス南部の遺跡に似ている)
博物館の中は、サイファース先生の言った通り、とても分かりやすく遺物が展示されていて、僕らの目を楽しませてくれた。ロベルトはひたすらビデオを回し、僕はひたすらカメラのシャッターを切る。僕らが手にするメソアメリカの遺物とは、やはり違うのだがどことなく似ている部分もある。
(博物館の展示。なんとなく縄文土器にも似た土器なんかもあったりする。展示の最後には発掘調査に関する展示コーナーもあり、これまでの調査の経過やどうやって調査をするのかという事が分かりやすく展示されていた。)
展示を見た後は、お決まりのミュージアムショップでのお土産漁り。僕は旅行に行くとTシャツを買う事にしているので、ここでデザインの良いTシャツに目をつけた。残念ながら僕のサイズはなかったのだが、大きくても着れるだろうと2サイズ上のものを買う事にした。他にもこまごましたお土産を買い込み、いざ遺跡公園へ。
(博物館を出るとそこはきれいに整備された遺跡が広がっていた。遺跡内には私有地も残っているそうだ。きっと色々な思い出のある先祖からの土地を離れるのが嫌なんだろう。その気持ちはなんとなく分かる気がする。)
まずは「修道士のマウンド」の南に広がるマウンド群を見て回る。双子のマウンドや、ピラミッド状のマウンド、そして博物館にも展示されていた豪華な副葬品を伴う埋葬が発見された72号マウンドなどを見て回った。
(とりあえず、記念撮影!!!)
そうして、次はようやくメインの「修道士のマウンド」へと向かう。遺跡の中には大きな公道が横切っていて、僕らはこの道を渡ってマウンドへとたどり着いた。ちなみに、遺跡見学者用の横断歩道も信号も何もない。車はとぎれとぎれにしか通らないので、その隙間を縫って道を渡る。なんだかメキシコみたいだ。
マウンドにはきれいな階段がつけられていて、そこを登って行く。頂上からは遺跡のほぼ全体を見渡す事ができる。遺跡の周りにはミシシッピー川の古い流れの名残なんだろう、大きな三日月湖がいくつも横たわっている。
「修道士のマウンド」からのすばらしい景色を堪能した僕らは、このマウンドの西側にある「ウッドヘンジ」を見に行く事にした。マウンドを降りて15分ほど歩くと、木柱列の大きなサークル「ウッドヘンジ」に到着した。この場所にはあまり人が来ていないようだった。唯一、自家用車で遺跡見学に来ている人たちが帰り道に寄って行くみたいだ。僕らがたどり着いた時には誰もいなかったが、そのうちにちらほらと何組かのグループがやって来た。
ここで、僕らに再び問題発生!カールがタクシーの連絡先を無くしたと言う...。さて、どうしたものか。まあ、遺跡には大きな道が通っているので、そのうちにタクシーも通るだろうという事でとりあえず道端に移動。
確かに、たまにタクシーは通るのだが、空車は通らない。皆、お客を乗せている。そりゃ、もっともだ。遺跡以外にはこの辺には何もないのだから...。そうこうしているうちに、ずっと色々なタクシー会社に電話をしていたカールがタクシーを予約する事ができた。10分ほどでタクシーが来て僕らはセントルイスのダウンタウンに戻る事が出来た。
(タクシー会社に電話するカール。ミシシッピー川を渡りダウンタウンに到着)
タクシーを降りて、少しするとカールが携帯が無いと言い出す。どうやら、タクシーに落としてしまったらしい。どうも今日はカールにとっては厄日みたいだ。学会の入り口でウロウロしていると、チャーリーとティムが会場から出てきた。とりあえず、ご飯を食べに行こうという事になり、近くのレストランへ移動してまたまたでっかいハンバーガーとビール。
ご飯の後はロベルトとカールが家族へのお土産を買いに行きたいという事だったので、一旦ホテルに戻って荷物を置いてからショッピングモールに出かける事に。
僕らがたどり着いた所は、古い駅舎を改装してホテルとショッピングモールを入れているらしい。着いたのがやや遅かったせいか何軒かのお店は閉まっていた。でも、カールもロベルトも家族へのお土産をいくつかは買う事が出来たようだ。
(ショッピングモールの入り口。中は何となく昔の駅の雰囲気を保っている。)
(マッサージチェアもあったので昼間の遺跡見学の疲れを癒す?)
さすがに、翌日発表が控えているロベルトと僕は今日は大人しく部屋に戻る事にする。カールも一日色々な所に行ったので疲れたのだろう、僕らと一緒に部屋に戻って早めに休むという。
部屋に戻った僕は、早速明日の発表のパワーポイントの仕上げにかかった。一応、ざっとは出来上がっていたのだが、いくつか写真を加える必要があった。発表自体はスペイン語でする予定だが、スライドには英語を使おうと思っていたので、カールに最終的なチェックをしてもらう。夜12時頃、ようやくスライドが出来上がった。出来上がったスライドをロベルトにチェックしてもらうと、いくつかのエラーがある事が発覚!...
ロベルトに指摘された間違いを直していると、さらに他の間違いがある事に気がついた...。結局、全て終わったのは深夜2時頃。翌日は6時に起きて7時には開場に向かう予定だったので、寝るか、そのまま起きているか迷ったのだが、とりあえず、ベットに横になる事にする。さすがに、僕も1日歩き回って疲れた。
発表まで、あと数時間。さあ、どうなる???
セントルイス2日目、金曜日の朝、学会の受付を済ませ、カールが参加するベラクルス州南部の編年に関するセッションを聞きに行きました。そこには、昨晩バーで一緒に飲んだ人たちが殆ど勢揃いしていました。各人がそれぞれベラクルス州南部で独自のプロジェクトを持っていて、そこで得られた情報を元にディスカッションが繰り広げられました。

(前日の晩、みんなあれだけ呑んだのにちゃんと揃っていました。さすがだね)
聴衆も巻き込んでのディスカッションで、様々な問題点が議論されました。
結局、問題の根底にはこの地域の土器に関して、細かいデータや図面を含んだ出版物が少なすぎるということがあるのだと思います。つまり、データが少ない上に細切れになっているので、全体としての傾向が掴みにくいという事になるんだと思います...。
午後は、僕の指導教官サイファース先生も参加するケン・ハース博士の記念シンポジウム。メソアメリカ古代文化の政治や経済の話。著名な考古学者の様々な発表を聞く事ができ、色々と僕自身の博論についても考えさせられる内容でした。

午前中2時間、午後4時間とみっちりと色々な発表を聞いて少々ぐったりした僕はとりあえずいったんホテルに戻ることにしました。というのも、野球好きのロベルトとの約束で夜はメージャーリーグ観戦に行く事になってました。セントルイスの町の中はカージナルス一色です。

ホテルからカージナルスのホームグラウンド「ブッシュ・スタジアム」までは数ブロックと近いので皆で歩いて行く事になりました。球場には続々と観客が集まってきていました。とりあえず、ビールとナチョスで腹ごしらえをして、試合開始を待ちました。その間、ロベルトはグッズを買いに球場内を走り回ってました...。そう言えば、去年のアトランタの学会でもロベルトに頼まれて野球帽を買いに行ったっけ...。

(球場の前で記念撮影)

(試合前の記念撮影。さあ試合開始!!!)
試合内容はかなり面白く、カージナルスも勝利し、皆気持ちよく帰る事が出来ました。試合終了後には、花火が沢山あがっていました。翌日はカホキア遺跡に行く事になっていたので、試合終了後はホテルに戻ってその準備をしなければと思っていたのですが、フィリップがどうしてもこれから飲みに行くというので僕もロベルトも仕方なくついて行く事にしました...。

結局、2時頃まで呑む事に....。フィリップとクリス両先生はホテルへと帰って行ったけど、きっとホテルのバーで呑み直したでしょう。ホントどこの国に行っても考古学者はよく呑む...。
明日はカホキア遺跡に行けるのだろうか...。今回の学会参加のメイン行事の一つなんだけど...。
ちなみに、この日も僕は発表の準備を何もする事が出来ずじまい...。発表まで後2日...。
(前日の晩、みんなあれだけ呑んだのにちゃんと揃っていました。さすがだね)
聴衆も巻き込んでのディスカッションで、様々な問題点が議論されました。
結局、問題の根底にはこの地域の土器に関して、細かいデータや図面を含んだ出版物が少なすぎるということがあるのだと思います。つまり、データが少ない上に細切れになっているので、全体としての傾向が掴みにくいという事になるんだと思います...。
午後は、僕の指導教官サイファース先生も参加するケン・ハース博士の記念シンポジウム。メソアメリカ古代文化の政治や経済の話。著名な考古学者の様々な発表を聞く事ができ、色々と僕自身の博論についても考えさせられる内容でした。
午前中2時間、午後4時間とみっちりと色々な発表を聞いて少々ぐったりした僕はとりあえずいったんホテルに戻ることにしました。というのも、野球好きのロベルトとの約束で夜はメージャーリーグ観戦に行く事になってました。セントルイスの町の中はカージナルス一色です。
ホテルからカージナルスのホームグラウンド「ブッシュ・スタジアム」までは数ブロックと近いので皆で歩いて行く事になりました。球場には続々と観客が集まってきていました。とりあえず、ビールとナチョスで腹ごしらえをして、試合開始を待ちました。その間、ロベルトはグッズを買いに球場内を走り回ってました...。そう言えば、去年のアトランタの学会でもロベルトに頼まれて野球帽を買いに行ったっけ...。
(球場の前で記念撮影)
(試合前の記念撮影。さあ試合開始!!!)
試合内容はかなり面白く、カージナルスも勝利し、皆気持ちよく帰る事が出来ました。試合終了後には、花火が沢山あがっていました。翌日はカホキア遺跡に行く事になっていたので、試合終了後はホテルに戻ってその準備をしなければと思っていたのですが、フィリップがどうしてもこれから飲みに行くというので僕もロベルトも仕方なくついて行く事にしました...。
結局、2時頃まで呑む事に....。フィリップとクリス両先生はホテルへと帰って行ったけど、きっとホテルのバーで呑み直したでしょう。ホントどこの国に行っても考古学者はよく呑む...。
明日はカホキア遺跡に行けるのだろうか...。今回の学会参加のメイン行事の一つなんだけど...。
ちなみに、この日も僕は発表の準備を何もする事が出来ずじまい...。発表まで後2日...。
4月15日から19日まで、アメリカのセントルイスで開催されたアメリカ考古学会に参加してきました。
15日の早朝5時にメキシコシティのアパートを出発し、アリゾナのフェニックスを経由して、夕方4時半頃にセントルイスの空港に着きました。そこで、先に着いていたメキシコ人の友人ロベルトと合流し、ダウンタウンにあるホテルに移動。

(ホテルは町のモニュメントのすぐ近くにありました。ホテルからはミシシッピー川が見えます。)
ホテルに着くと前日に到着していた、アメリカ人の友人カールが出迎えてくれました。今回は、ロベルト、カール、そしてカールの友人チャーリーと僕、4人で1部屋をシェアする事になりました。
とりあえず、簡単に荷物を整理した後、さっそくカールとチャーリーが用意していてくれたビールで乾杯!!!色々な事を話しながらビールを飲んでいると、あっという間に2時間近くが過ぎ、早朝からの移動で殆ど何も食べていなかったメキシコ人の友人と僕の為に、何か食べにいこうという事になり、セントルイスのダウンタウンで夕食をとることになりました。
夕食とはいえ、いい感じに酔っぱらっていた僕らが探したのは、当然ビールも飲める場所でした。町の中をウロウロとしていると、道の反対側から僕らを呼ぶ声が聞こえ、声の主を探してみるとメキシコ人の友人ショチルでした。早速、彼女とその友人達が集まっているというアイルランド・バーに行く事が決まり、来た道を少し戻るとちょっとおしゃれな感じのレストラン・バーに着きました。

(友達が泊まっているホテルに下にあったアイルランドバー。久しぶりに会う友人達とビールで乾杯。)
そこには、前日から学会に参加していた他のアメリカ人考古学者が集まって飲んでいました。みんな僕らと同じベラクルス南部を中心に働いている人たちです。久々の再会を喜び、初めて会う人とはお互いに簡単な自己紹介をして、アメリカらしいでっかいハンバーガーをつまみにビールを飲み、あっという間にセントルイス最初の夜が更けていきました。
ちなみに、この時点で僕はまだ自分の発表用のパワーポイントの準備が終わっていませんでした...。発表は学会最終日となる日曜日の午前中。つまり、3日後...果たして間に合うのか...。
15日の早朝5時にメキシコシティのアパートを出発し、アリゾナのフェニックスを経由して、夕方4時半頃にセントルイスの空港に着きました。そこで、先に着いていたメキシコ人の友人ロベルトと合流し、ダウンタウンにあるホテルに移動。
(ホテルは町のモニュメントのすぐ近くにありました。ホテルからはミシシッピー川が見えます。)
ホテルに着くと前日に到着していた、アメリカ人の友人カールが出迎えてくれました。今回は、ロベルト、カール、そしてカールの友人チャーリーと僕、4人で1部屋をシェアする事になりました。
とりあえず、簡単に荷物を整理した後、さっそくカールとチャーリーが用意していてくれたビールで乾杯!!!色々な事を話しながらビールを飲んでいると、あっという間に2時間近くが過ぎ、早朝からの移動で殆ど何も食べていなかったメキシコ人の友人と僕の為に、何か食べにいこうという事になり、セントルイスのダウンタウンで夕食をとることになりました。
夕食とはいえ、いい感じに酔っぱらっていた僕らが探したのは、当然ビールも飲める場所でした。町の中をウロウロとしていると、道の反対側から僕らを呼ぶ声が聞こえ、声の主を探してみるとメキシコ人の友人ショチルでした。早速、彼女とその友人達が集まっているというアイルランド・バーに行く事が決まり、来た道を少し戻るとちょっとおしゃれな感じのレストラン・バーに着きました。
(友達が泊まっているホテルに下にあったアイルランドバー。久しぶりに会う友人達とビールで乾杯。)
そこには、前日から学会に参加していた他のアメリカ人考古学者が集まって飲んでいました。みんな僕らと同じベラクルス南部を中心に働いている人たちです。久々の再会を喜び、初めて会う人とはお互いに簡単な自己紹介をして、アメリカらしいでっかいハンバーガーをつまみにビールを飲み、あっという間にセントルイス最初の夜が更けていきました。
ちなみに、この時点で僕はまだ自分の発表用のパワーポイントの準備が終わっていませんでした...。発表は学会最終日となる日曜日の午前中。つまり、3日後...果たして間に合うのか...。
おそらく、皆さんはこのブログの事は忘れてしまっているでしょうが、およそ1年ぶりに更新しようと思います。
まずは、この1年間の出来事を大まかに大急ぎで...。
5月半ば
テオティワカンからメキシコシティに再びお引っ越し。
5月下旬から7月半ば
ユカタン半島の付け根、カンペチェ州にあるエル・パルマール遺跡の発掘調査に参加。団長は友人のT君。
7月半ば
メキシコシティで行なわれたICA(国際アメリカ学会)に参加。現在作成中の博論「オルメカの衣装」の一部を発表。
7月下旬から8月末まで
ENAH(メキシコ国立人類学歴史学校)でエル・パルマール遺跡の遺物整理。
9月から10月初旬
INAHから職員の募集があり、そこに応募するために書類集めと研究計画書の作成。
11月から12月
エル・パルマール遺跡調査の報告書作成と、今年日本で開催される展覧会の準備のお手伝い。
2010年1月1週目から3週目
テオティワカン遺跡で太陽のピラミッド発掘に参加。
1月4週目から2月3週目まで
ベラクルス州ピエドラ・ラブラーダ遺跡の発掘調査に参加。
2月4週目以降
再びメキシコシティに戻ってきたので、たまっていた原稿や学会発表の準備。まずは4月後半にアメリカ、セントルイスで開催されるアメリカ考古学会での発表を完成させないと...。まだ、殆ど手つかず...。
とりあえず、この1年くらいはこんな事をしてました。もちろん、同時進行で博論も進めてはいるのですが、なかなか思い通りには進みません...。
ブログの方もこれからは、もう少し頻繁に更新しようと反省中です...。
まずは、この1年間の出来事を大まかに大急ぎで...。
5月半ば
テオティワカンからメキシコシティに再びお引っ越し。
5月下旬から7月半ば
ユカタン半島の付け根、カンペチェ州にあるエル・パルマール遺跡の発掘調査に参加。団長は友人のT君。
7月半ば
メキシコシティで行なわれたICA(国際アメリカ学会)に参加。現在作成中の博論「オルメカの衣装」の一部を発表。
7月下旬から8月末まで
ENAH(メキシコ国立人類学歴史学校)でエル・パルマール遺跡の遺物整理。
9月から10月初旬
INAHから職員の募集があり、そこに応募するために書類集めと研究計画書の作成。
11月から12月
エル・パルマール遺跡調査の報告書作成と、今年日本で開催される展覧会の準備のお手伝い。
2010年1月1週目から3週目
テオティワカン遺跡で太陽のピラミッド発掘に参加。
1月4週目から2月3週目まで
ベラクルス州ピエドラ・ラブラーダ遺跡の発掘調査に参加。
2月4週目以降
再びメキシコシティに戻ってきたので、たまっていた原稿や学会発表の準備。まずは4月後半にアメリカ、セントルイスで開催されるアメリカ考古学会での発表を完成させないと...。まだ、殆ど手つかず...。
とりあえず、この1年くらいはこんな事をしてました。もちろん、同時進行で博論も進めてはいるのですが、なかなか思い通りには進みません...。
ブログの方もこれからは、もう少し頻繁に更新しようと反省中です...。
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