忍者ブログ
オルメカ文化研究者の日誌
[3]  [4]  [5]  [6]  [7]  [8]  [9]  [10]  [11]  [12]  [13
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

昨日は友人達と、ハラパから2、3時間の所にあるOyamelesとZaragozaという場所に行って来た。
目的は、黒曜石の原産地踏査とサンプル採集。

朝8時にレンタカーを受け取り、友人達を迎えに行った。友人宅で朝食を食べ、コーヒーを飲み9時頃出発した。この日は最近のハラパでは珍しく非常に澄み切った空で最高の天気でした。ただ、行き先は山間部なのでハラパに住む友人Robertoからは、絶対に寒くなるから雨具と上着を忘れないようにとアドバイスされていたので、暖かい格好で出かけました。

ハラパを出てしばらくすると、やはり小雨が降ったり止んだりする天気になり、途中ガソリンを給油した時に外に出てみると結構肌寒い気温に下がっていました。よく見ると、町の人たちは毛糸の暖かそうな上着を皆着ていました。

途中、道を間違えてしまい舗装されていない道を進んでいるうちに、大きな水たまりに車がはまってしまい、そこから出すのにかなり苦労しましたが、最初の目的地、Oyamelesに到着。
  
(写真:途中でとても綺麗に見えていたPico de Orizabaという標高5600m以上の山を皆で撮影)

ここは、町の南北に産地があるそうで、とりあえず道路沿いにある所から黒曜石のサンプル採集を始めました。
予想以上に黒曜石の原石がゴロゴロと転がっていて、メキシコ人の学部生は大喜びで黒曜石を拾っていました。崖にも大きな黒曜石の塊がはまっていました。一通りサンプルを採集し、次の目的地、Oyameles村の近くにある谷間に移動。
    
(写真:地面に転がる黒曜石と崖にはまっている黒曜石の塊(黒っぽい部分が黒曜石の塊))

村の中は至る所で大きな水たまりが道を塞いでいて、午前中の嫌な記憶がよみがえりつつも可能なかぎり先へ進む。村はずれまであと少しというところで大きな水たまりに完全に道が塞がれていたので、車で進むのをあきらめ歩いて行く事に。畑の脇の小道を進んでいくと崖の上に出る。あまりに急な崖だったので躊躇するが、若いメキシコ人学生はさっさと下へ向かって降りて行く。後で、聞いた話では彼はメキシコの山間部の出身らしく、このような道なのか崖なのか分からないような所も子供の頃から歩いていたらしい...。僕はもう少し安全そうな所が無いかと少し横にそれて道を探すが、見つけたのは参考文献の写真に似た風景だけで、仕方が無いので腹をくくり下へ向かって降りて行く事にする。
  
(写真:畑の横の小道から見える風景。参考文献の写真に似た風景)

苦労しながらも崖の下に降りて行くと、やはり大きな黒曜石の塊がゴロゴロと。この辺りの黒曜石は少し混入物が多かったりしてあまり質の良いものではありませんでしたが、中には写真のような巨大な黒曜石の岩もありました。ここは、最初の場所のように崖に埋まっているというよりも、谷間を流れる細い河原に転がっているという感じでした。一休みした後、採集したサンプルをもち降りて来た急な崖を登る事に...。皆でヒーヒー言いながらも無事に上まで登りきる。
  
(写真:黒曜石の巨大な塊。黒っぽい岩が黒曜石(人間の大きさと比較を!)。崖を登る友人。)

この時点で既に午後3時近くになっていたので、次の目的地Zaragozaの町で食事をとる事になる。食事の後は町の外れにある河原を目指し来た道を戻る。車を停めるのにちょうど良さそうな場所を見つけて、河原に降りてみるとやはりここにも黒曜石がゴロゴロと。しかも、これまでのOyamelesよりも質の良い黒曜石がさらに大量に転がっている。よくよく見てみると子供の頭ほどの大きさの石核まで落ちている。そこで、他の小さな欠片もよくよく見てみれば黒曜石製品が混ざっている。
  
(写真:Zaragozaの町はずれにある河原。河原に転がる黒曜石。)

既に、午後5時近くになっていたので、ここを今回の採集地点とするという事でみんなのんびりと大量にサンプルを拾う。そして最後は皆で記念撮影会。

(写真:記念撮影)

帰りは高速道路を使い快適に飛ばして帰るもハラパに近づいてから途中で濃い霧が出て来てノロノロ運転に...。ハラパに戻ると完全に夜になっていて、みんなお腹もすいていたので近所のスーパーへ買い出しへ。
最後はいつものように、酒を買い込み友人の家で今回のサンプル採集旅行の打ち上げをして解散。

(写真:打ち上げの宴)
PR
昨日は、先週から準備していた企画展が開始され記念講演会が行われました。

この企画展は、アメリカ人の友人Connieが企画したものでハラパの人類学博物館の一角を使って行なわれました。展示の内容はChapopoteと呼ばれる、アスファルトに関するものです。展示スペースも小さく、考古遺物も20点ほどの小さな企画展だったのですが、色々と問題があり、結局展示の準備が終わったのは当日の午後4時頃でした....。

6時からは、企画したConnieの指導教官Dr. Carl Wendtによる、彼の得意分野でもあるChapopoteに関する講演会が予定されていました。準備が遅れていたため十分な宣伝ができず、人が集まるか心配されていたのですが、ベラクルス大学の考古学を専攻する学部生達がかなり集まってくれたので、なんとか会場の7割くらいは埋まりました。

(写真:講演会の様子)

1時間弱の講演の後、博物館の館長から企画展開会の宣言がされ無事に企画展がスタートしました。Robertoや他の博物館職員そして僕や他の友人達もかなりお手伝いしたのですが一時期は、もう無理なんじゃないかと思われていました...。でも、Connieもこれでようやく安心してアメリカに帰る事ができるようです。

(写真:開会後の展示会場)
前回更新からまたしても一月経ってしまいました...。
その間も通常通り、博物館に通ってお仕事をしていたのですが、ちょこちょことイベントもあったので、日記風に近況報告。また、長くなりますのでお時間のある時にどうぞ。

9月13日
今、僕はベラクルスの現場で一緒に働いていたMaríaの実家で部屋を借りて住んでいるのですが、前日、ベラクルスの現場の後、パナマの現場に出ていたMaríaとVickyがハラパに戻って来た。当然、他の友人達を誘い軽く呑みにでかける。

9月14日
Robertoに誘われ、ハラパから約3時間ほどのコルドバという町に行く。その日は、Robertoの奥さんの誕生日をお祝いするフィエスタが行なわれました。今までにバスで旅行する際に、何度かこの町は通過した事はあったのですがバス停を出たのは初めてでした。フィエスタは2時頃からパラパラと人が集まり始め、メンバーが入れ替わりながら夜2時頃まで続きました。翌日はメキシコの独立記念日、他の友人達と約束があったので11時頃には友人の家を出てハラパに戻る。結局、今回もコルドバの町を散策する事無く、未だに記憶にあるのはバスターミナルとRobertoの家のみ...。

(写真:フィエスタにて)

9月15日
夕方ハラパの家に戻り、一休み。
この日はメキシコの独立記念日前夜、夜9時頃から友人が集まり始める。本当は町に出るつもりだったが、結局家で皆で呑む事になる。
テキーラやつまみを買い込み、ゆったりとした雰囲気で始まるが、終わってみるとやはり
こんな感じ↓。

(写真:フィエスタ終わってみれば...)

9月16日
友人達と4人で、Acatlanというところに出かける。4人とも強烈な二日酔い。くねくね曲がりくねる山道をおよそ1時間の道中、辿り着くまでに何度も吐き気が襲う...。Acatlanは山間部にある小さな村で、とても良いところだったのですが、とにかく強烈な二日酔いが継続...。次は、体調の良い時に来たいな...。

(写真:Acatlanの丘の上から)

9月19日
この日は、Felipeの卒論の最終試験があるのでお仕事をお休みしてメキシコシティへ。
試験は問題なく終わり、無事に学位が授与された。これで、彼も名実共に立派な考古学者の仲間入り。メキシコでは、学部の授業履修が終わってから卒論を提出するのですが、多くの人たちが、履修後数年経って学位を取ります。彼は一体何年かかったんだろう...。年齢は遥かに僕の上をいってます。まあ、何はともあれ無事に学位を取った彼の家で皆でお祝い。当然、テーブルの上には沢山のビールやテキーラが並び、皆で大騒ぎ。

(写真:試験の様子)

9月20日
この時期、メキシコシティの国立人類学博物館で年に一度のブックフェスティバルが行なわれる。沢山の出版社が集まり、定価の半額近くで本が販売されるので僕はいつもこの時期を楽しみにしてます。当然、今回の友人の最終試験でメキシコシティに来た事を利用しないはずも無く、午前中からブックフェスティバルに出かける。ここ数年、めぼしい本が無かったのですが、今回は色々と興味深い本があったり、博論の為にと色々な関連図書を大量に購入する。午後からは以前の職場テオティワカンのラボへ。
提出しなければいけなかった原稿の図版を無事に渡す。夜は当然呑み会。

9月21日
ハラパに戻る。

9月25日
数日前に指導教官の先生から同期の友人(彼の名前もFelipe)の最終試験があるとの事で、再びメキシコシティへ。今回は試験が午前9時からという事なので夜1時半にハラパを出る。朝6時半にメキシコシティのバスターミナルに着き、帰りの切符を買いそのまま大学へ向かう。大学に着くと8時で少し早かったので、朝食をとりながら友人達が到着するのを待つ事にする。しかし、8時半になっても誰も現れない。本人すら現れない...。不安になりながらも待っていると、指導教官の先生が到着、その後、他の友人や先生方が到着し、本人は10分前くらいになってようやく現れた。無事に試験は終わり友人は博士になった。同じ指導教官につく同期の中で一番乗りである。
これまでにも何人か僕と同じ指導教官についている友人達の最終試験があったのですが、これまでは皆、大学内で軽い食事をする程度で終わっていたので、今回もそうだろうと思っていたら、今回は場所を変えてフィエスタをするとの事。そうなると、帰りのバスには間に合わなくなってしまうので、バスのチケットを変更し、フィエスタへと向かう。当然、テキーラやワインなどが振る舞われ、皆で彼のお祝いをし、僕はほろ酔い加減で後ろ髪を引かれつつもハラパへの帰途につく...。
 
(写真:試験の様子)

9月26日
整理作業の為に博物館に行く。このところ、日本で12月出版の学会誌に投稿する為の原稿を今回の調査の団長達と書いていたのですが、ここへ来て団長から連絡があり、助成金を出してもらったナショナルジオグラフィックに出版許可を得る為の申請をするのを忘れていたというメールが届く...。仕方が無いので、今回の調査の原稿は来年にまわすことに。で、代わりに副団長Robertoの学生で今回のArroyo Pesqueroの調査にも参加したMaríaの卒論を元にMedias Aguas遺跡の埋葬に関する調査速報を3人で投稿する事になった。僕自身も2004年に参加した調査の資料をもとに書かれたものだし、内容はすでに出来上がっているものなので、なんとか締め切りまでの1週間で完成させられるだろうということになったのである。

10月3日
若干締め切りを過ぎてしまったが、なんとか原稿を完成させ日本語に翻訳し日本にメールで送る。
前日はRobertoの誕生日だったので、友人達とお祝いをすることに。本人はただ呑みに行くつもりのようだったが、皆でケーキを買いMaríaの家で彼が来るのを待つ事になった。バーに直行するつもりだった彼は、訳も分からず突然Maríaの家に呼び出され、そこに集まった皆(12、3人居たかな?)からケーキと歌でお祝いされビックリしたようだったがとても喜んでくれた。ケーキの後は、予定通りバーに移動しビールでお祝い。そして、締めは当然タコス。

(写真:飲み屋での様子)

10月4日
この日は、ハラパから少し離れたところにあるランチョ・ビエホという所に住んでいるPamelaの家でフィエスタ。夕方6時集合のはずが結局全員が集まったのは9時過ぎ...。それから彼女の家に皆で車で移動。途中、ピザやつまみのスナック菓子、それからウイスキーとウォッカを買い込む。ピザやサラダを準備しながら呑み始める。僕は空腹に我慢できず、一足お先に温めなおしたピザをつまみ食い。

(写真:皆でピザとサラダを肴に呑み始める)

最初は、写真のように部屋の中で穏やかに呑んでいたのですが、ピザが無くなった頃から皆でデラスに出始める。

(写真:テラスにて記念撮影)

そして終わる頃には...

(写真:終わり間近)

前日は夜着いて、周りが真っ暗だったので気がつきませんでしたが、夜が開けてみるととても景色の良い場所だったことが分かりました。

(写真:翌朝のテラスからの景色)

10月5日
翌日、Saraíが仕事を求めてゲレロ州に出発するという事で、再びMaríaの家に友人達が集まる。さすがに、前日たらふく呑んだので、この日はジュースとお菓子のみ、のはずだったのですが、終わってみればワインが1本空いてました...。まあ、6人でワイン1本で済んだ事の方が奇跡的か。

10月6日
週末、Tuxpanというところで3週間働いていたErickaとPaulinaが帰って来たという事で、MaríaとVickyと共にErickaの所に遊びに行く。コーヒーを飲みながら、色々と向こうの現場の話を聞く。この日は珍しくアルコール抜き!

10月12日
この日は、居候先のMaríaが仕事を求めてオアハカ州に出発するので、午前中に友人達で集まって朝食を食べる。2ヶ月ほど向こうで仕事をするらしい。こっちでは、僕の友人達は頻繁に仕事を求めて自宅を離れメキシコ国内の至る所に出かけていく。Maríaもこれまでも、色々な所に仕事をしに出かけているが、いつも誰か友達と一緒だったらしく、今回は初めて一人で知らない所に仕事に行くらしい。まあ、考古学の仕事はどこに行っても基本は同じだからきっと何とかなるんだろう。

なんだか、今回も呑み会日記みたいになってしまいました...。でも、この間も、ちゃんと整理作業はしてましたよ。それに、ちゃんと小さな論文も提出したしね。
次回はこんなに長くならないように、もう少し頻繁に更新しないと...。
先週、先々週は来年予定されているメキシコとアメリカの学会の要旨作りと参加申し込みをした。

アメリカでの学会は4月後半にアトランタで開かれるSAAというアメリカの考古学学会。友人からメソアメリカ先古典期に関するセッションを開くので、何か発表して欲しいと言われ、せっかくの機会なのでということで、急遽、ネタを考え申し込む事に。

もう一つのメキシコの学会は、メキシコシティで開催されるCongreso Internacional de Americanistasというアメリカ大陸の事に関する学会。こちらは、去年から友人から誘われていたもので、こちらもメソアメリカ先古典期に関するセッション。

どちらの発表も現在書いている最中の博論からネタを見つけて発表する予定。
つまり、博論が進まないと発表するネタが無くなってしまうという事。
さすがにこうやって、色々と追い込めば怠け者の僕でも当初の予定に沿って、年内中に少なくとも下書きぐらいは完成させるという目標に近づける。かも...。

さて、今年も残りおよそ3ヶ月半。そろそろ気合いを入れなおさないと!
先日ブログに書いたアロージョ・ペスケーロケーロ遺跡の整理作業を7月末から、ベラクルス州の州都ハラパにある博物館で続けてます。
博物館では、大学院での同期であり、今回のプロジェクトの副団長でもある友人の部屋の一角を間借りして作業してます。遺物量は先日も書いたようにたいした数ではないのですが、僕一人で全てやらなければなりません...。

[写真]ベラクルス大学付属人類学博物館(通称MAX)

とりあえず、手始めに遺物を種類毎あるいは採集した日付毎に段ボール箱に仕分けする作業から始めました。
次は汚れたままの遺物では分析が難しいので、表面についている泥落し作業です。石器は歯ブラシと水で綺麗に泥を洗い流し、土器片は水で洗うと溶けてしまうものが多いので、ブラシとヘラを使って泥を剥がすことに。石器は、採集した量が少なかったのですぐに終わりました。ここまでで、ちょうど1週間。

その後、博物館が2週間の夏休みに入ってしまい、その期間を利用してメキシコシティに戻り、メキシコ滞在のためのビザの更新をしてきました。順調に手続きが進み、10日ほどで新しいビザがもらえました。ついでというのも変な話ですが、せっかくメキシコシティに戻ったので、博論の指導教官の先生と論文についても話をしてきました。今年こそは、なんとか叩き台となる下書きを終わらせないと!

再びハラパに戻り、次は段ボール箱約4箱分の土器の泥落し作業。
これが、結構しっかりと泥がこびりついていて落とすのに一苦労でした...。結局、1週間半ほど毎日毎日泥落し作業を続ける事に...。

[写真]泥落し作業中の土器片

なんとか、遺物を綺麗にする作業が終わり、その後は本来ならば時期や型式毎に分類する作業に入りたかったのですが、様々な理由からとりあえずは石器などの数が少ない遺物の写真撮影を先に進める事になりました。
まずは、唯一採集する事ができた土偶のかけら。残念ながら下半身だけしか見つからず、時期決定をするのに大切な顔の部分がなかったので時期ははっきりしません。

次は、メソアメリカでは「緑色の石」とまとめて呼ばれる、ヒスイや蛇紋岩製の遺物。今回は、磨製石斧の完形1点と破片1点、それからおそらく原材料として持ち込まれたと考えられる原石1点の合計3点の遺物が採集されました。

続いて、黒曜石やチャートなどで作られた石器。殆どはこれらの石材を使って石器を作った時にできた石屑と考えられる小さな破片でしたが、プリズマティック・ブレードと呼ばれる5点の製品が含まれていました。

そして、最後は玄武岩などの岩石で製作された石器。殆ど全ての石器が破片だったので元はどんな遺物だったのかよく分からないものもありましたが、その殆どはメタテと呼ばれる石臼のようなものとマノと呼ばれるすり棒だと考えられます。ただ、1点だけ磨製石斧が含まれていました。

とりあえず、土器以外の写真は先週中頃には終わったので、今は、写真を撮った遺物の実測図を描いてます。慣れない点描画も描いているので少々時間はかかってますが、まあ頑張れば2週間くらいで終わるかな...。それが、終われば後は大量にある土器片に手をつけないと...。ホントに10月半ば頃には終わるのだろうか...。
<< 前のページ 次のページ >>
カレンダー
02 2025/03 04
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31
フリーエリア
最新コメント
[09/09 坂井田]
[03/05 鎌塚百美]
[02/16 NONAME]
[05/05 donaji]
[04/12 All My Life]
最新記事
最新トラックバック
プロフィール
HN:
kotito
年齢:
53
性別:
男性
誕生日:
1971/05/01
趣味:
考古学
バーコード
ブログ内検索
最古記事
(06/03)
(06/04)
(06/08)
(06/15)
(06/18)
カウンター
アクセス解析
ブログの評価 ブログレーダー
忍者アナライズ
忍者アナライズ
忍者アド

森と水のエコクイズ2011
忍者ブログ [PR]